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肥塚古墳群と古塚古墳石棺 ― 3 [その他]

 肥塚古墳群中には、少なくとも3種類の石材を主に使った古墳石室が造られていました。
1河原石積石室 2凝灰岩截石組石室 3角閃石安山岩転石切組石室の3種類です。時代は古墳時代後期から終末期までのおよそ100年間ほどの間です。
 古墳を築いた肥塚近辺の古墳時代人(肥塚古墳人)の出自や動向に関心が向きます。また石材の入手経路は、専門的な石工の関与はあったのか、種類の差は時期差なのか、稀な石棺をなぜ必要としたのかなど想像が膨らみます。
 石材に関連して少し補足したいと思います。石室に使用された石材の入手先は次のように考えられます。
 ・人頭大の河原石は荒川本流の本田・押切近辺  ―鹿島古墳群、三ヶ尻古墳群など(Ⅰ類型の古墳群)
 ・白色細粒の凝灰岩は熊谷市小江川、滑川町福田近辺 ―塩古墳群、野原古墳群など(Ⅱ類型の古墳群)
 ・角閃石安山岩転石は利根川本流とその水系   ―中条大塚古墳、飯塚古墳群など(Ⅲ類型の古墳群)
他に古墳礫床に使う河原石円礫と天井石に使用した緑泥石片岩の板石は利根川・荒川本流と長瀞近辺の河川内の露頭からもたらされたと考えられます。 

 市内の古墳では古墳群独自の石材を多用する場合が主で、肥塚古墳人のように各種の石材を巧みに使用していることは異例です。Ⅱ類型の古墳群にⅢ類型の古墳が造られることはほとんどありません。逆の場合も同様です。また、荒川の流路の異動を想定すると肥塚の地は絶妙の位置になります。石材の取得環境と各種の石室類型の存在は肥塚古墳人の独自性ともいえ、各種の古墳構築技術を持っていた人たちだったとも考えられ、埴輪や須恵器などを専門的に作る工人と同様に古墳石室を造る専門工人と云える人たちだったのではないかと想像してしまいます。(新井)
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塩古墳群Ⅰ-28号墳石室羨道部西壁面の截石組状況

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角閃石安山岩截石組石室 中条大塚古墳
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