国重要文化財「平山家住宅」撮影調査 [建造物]
熊谷市樋春に所在する国重要文化財「平山家住宅」において、ものつくり大学(行田市)建設学科の横山晋一研究室による調査が行われています。本年5月から約1年の計画で茅葺屋根建造物の保存修理計画策定を含めた調査検討を実施する予定です。6月8日には高所作業車を利用しての写真撮影調査などが行われました。茅葺の保存修理施工後から約20年が経過し、毀損箇所が点在していることから、これらの現状把握を含め、撮影データーは調査報告などの資料として利用します。そして今後の保存修理計画策定に向けての基礎資料となることを目指しています。
高所作業車を利用しての撮影
高所からの撮影、正面
高所からの撮影、正面上部
高所作業車を利用しての撮影
高所からの撮影、正面
高所からの撮影、正面上部
講座「英語で郷土の歴史・文化を伝えてみよう!」 [建造物]
坂田医院旧診療所で撮影されたSeven Billion Dots 『Nightmare』 Official Music Video [建造物]
日本の3人組ロックバンド「Seven Billion Dots」のアルバム「HOPE」に収録された楽曲「Nightmare」のミュージックビデオは、熊谷市妻沼の国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」において収録されました。その動画がYouTubeで公開されています。映像作品には、診療室や手術室の室内風景や、展示された絵画なども映し出されています。どうぞご覧ください。
Seven Billion Dots 『Nightmare』 Official Music Video
https://youtu.be/volHNKySzWM
長島記念館と青天を衝け [建造物]
石蔵の美術展示室(左側)
熊谷市小八林にある長島記念館は、旧埼玉銀行頭取の故長島恭助氏の邸宅で、庭園と建物含む敷地全体が熊谷市の名勝に指定されています。現在、新型コロナウイルス対策を万全にして通常開館しています。石造の蔵や江戸時代後期に建立された母屋、収蔵展示している日本近代美術コレクションをお楽しみください。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公の渋沢栄一が揮毫した書も収蔵されています。
〒369-0103 埼玉県熊谷市小八林1022番地 TEL・FAX:0493-39-2025
■開館時間午前10時〜午後4時■休館日毎週月・木曜日(祝日を除く)
祝日の翌日(土・日を除く)
夏期・年末年始■入館料一般 300円(210円)
小・中学生 100円(70円)
*( )内は20名以上の団体■駐車場50台収容■アクセス・JR高崎線熊谷駅南口からゆうゆうバス「ひまわり号」長島記念館行き40分
「長島記念館前」下車すぐ
・JR高崎線吹上駅から車で5分
熊谷の名工の足跡を辿るー雷電神社ー [建造物]
群馬県邑楽郡板倉町にある雷電神社は、江戸時代後期を代表する神社建築です。
現存する社殿は、天保6年(1835)に建立されました。その造りは、拝殿と本殿を「石の間」と呼ばれる幣殿で繋いだ、いわゆる権現造りで、屋根は瓦棒銅板葺となっています。
大工棟梁を務めたのは、武州川俣村の三村和泉守、彫刻を手掛けたのが上州花輪村の石原常八父子(二代目・三代目)です。石原常八父子(二代目・三代目)は、三村家から妻沼の林家に養子に入った林家五代目・正道と共に妻沼聖天山の貴総門(国指定重要文化財)を造営したことでも知られています。
本殿には緻密な彫刻が施され、白木彫りの柱や長押と極彩色に彩られた見事な彫刻群が融合しています。
本殿右側胴羽目彫刻 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の大蛇退治
本殿右側胴羽目彫刻 大志王夫人
本殿背面胴羽目彫刻 神功皇后
本殿左側には「浦島太郎」の彫刻が施されています。
また、下段の腰羽目彫刻には、獅子舞や凧上げ、鰻とりをする唐子遊びの様子が刻まれています。
社殿は、昭和61年から平成元年にかけて彩色の保存修理が行われています。
雷電神社社殿は、昭和59年12月に県指定重要文化財となっています。また、雷電神社には11枚の棟札があり、そのうちの2枚(天保6年と天保13年)が県指定となっています。
境内には、社殿を囲むようにたくさんの蝋梅が植えられ、甘い香りが漂っていました。
現存する社殿は、天保6年(1835)に建立されました。その造りは、拝殿と本殿を「石の間」と呼ばれる幣殿で繋いだ、いわゆる権現造りで、屋根は瓦棒銅板葺となっています。
大工棟梁を務めたのは、武州川俣村の三村和泉守、彫刻を手掛けたのが上州花輪村の石原常八父子(二代目・三代目)です。石原常八父子(二代目・三代目)は、三村家から妻沼の林家に養子に入った林家五代目・正道と共に妻沼聖天山の貴総門(国指定重要文化財)を造営したことでも知られています。
本殿には緻密な彫刻が施され、白木彫りの柱や長押と極彩色に彩られた見事な彫刻群が融合しています。
本殿右側胴羽目彫刻 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の大蛇退治
本殿右側胴羽目彫刻 大志王夫人
本殿背面胴羽目彫刻 神功皇后
本殿左側には「浦島太郎」の彫刻が施されています。
また、下段の腰羽目彫刻には、獅子舞や凧上げ、鰻とりをする唐子遊びの様子が刻まれています。
社殿は、昭和61年から平成元年にかけて彩色の保存修理が行われています。
雷電神社社殿は、昭和59年12月に県指定重要文化財となっています。また、雷電神社には11枚の棟札があり、そのうちの2枚(天保6年と天保13年)が県指定となっています。
境内には、社殿を囲むようにたくさんの蝋梅が植えられ、甘い香りが漂っていました。
ー熊谷の名工の足跡を辿るー桐生天満宮 [建造物]
桐生天満宮は、群馬県桐生市に所在する神社で、北関東を代表する彫刻建築の一つです。寛政元年(1789)に建てられた社殿は、熊谷の国宝・歓喜院聖天堂と同様に、拝殿と本殿を石の間でつなぐ、いわゆる権現造りです。
社殿は本殿を中心に、緻密な彫刻が施され、うっすらと彩色が確認できます。建設当初は、歓喜院聖天堂のように極彩色に彩られていたと考えられます。これらの彫刻は、勢多郡黒保根村出身の彫刻師・関口文治郎他8名によって手掛けられました。文治郎は“上州の甚五郎”と称され、熊谷の国宝・歓喜院聖天堂の再建に携わった人物で、多くの県・市指定有形文化財にその名が刻まれています。
中国の故事に基づいた彫刻で埋め尽くされた本殿。龍が彫られた柱が特徴的です。
縁を支える組物は、黒漆に朱色で縁取られています。
柱や長押には、地紋彫りが施され、花頭窓の廻りには二匹の龍が絡み合っています。
桐生天満宮社殿は、平成2年9月25日に群馬県の指定重要文化財となっています。
片倉シルク記念館 特設サイト「シルクと暮らす」 [建造物]
片倉シルク記念館
熊谷市本石にある「片倉シルク記念館」は、片倉工業株式会社最後の製糸工場であった熊谷工場の繭倉庫を利用して創設された記念館で、平成19年には経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。 同社の製糸業121年におよぶ歴史を、末永く保存継承するために、熊谷工場の操業当時に使われていた製糸機械が展示され、繭から生糸になるまでの過程が紹介されています。
なお管理を担う片倉工業株式会社はシルクに関するさまざまな情報をコラムを特設サイト「シルクと暮らす」で掲載しています。片倉シルク記念館特集では蚕から絹糸になるまでの流れについて次のサイトをご参照ください。サイト内にある動画「生糸ができるまで」にはその作業工程について詳しく知ることができます。
特設サイト「シルクと暮らす」片倉シルク記念館を巡る
http://www.katakura.co.jp/silk/study/museum/
源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況 [建造物]
12月19日(土)、本堂東側下屋の解体作業が行われました。下屋部分は、仏像移動の作業がしやすいよう、壁を取り払い骨組みだけの状態となりました。
仏像の移動台となる花道にも、コロを転がせるよう合板をはりました。
また、仏像を養生する際に使用した足場も解体され、仏像移動の準備が整いました。
明日、現地にて最終確認と境内の片付けを行う予定です。
「平戸の大仏」仏像移動行事は、既報の通り今週12月23日(水)に開催予定です。
開 催 日:令和2年12月23日(水)
時 間 :午前10時~ 薬師如来坐像移動
午後1時30分~ 観世音菩薩坐像移動
場 所 :源宗寺(熊谷市平戸644)
※車でお越しの方は、老人憩の家「平戸荘」の駐車スペースをご利用ください。https://www.city.kumagaya.lg.jp/shisetsu/hoken_fukushi/roujinnikoinoie.html
「平戸の大仏」二体は本堂の工事中、仮設小屋に移転して新しい本堂への移設に耐えられるよう仏像の内部から補強作業を行う予定です。
お願い
新型コロナウィルス感染防止のため、次のご協力をお願いいたします。
1. マスクの着用をお願いします。
2. 以下に該当する場合には、拝観をご遠慮ください。
•体調が良くない(風邪の症状、倦怠感、味覚・臭覚の異常など)
•体温が37.5度を超えている
•過去2週間以内に海外渡航歴がある
•同居家族や身近な知人などに感染が疑われる人がいる
•新型コロナウィルス感染陽性とされた方との濃厚接触がある
3.氏名、住所、電話番号、健康状態等についての記帳の協力をお願いいたします。
源宗寺本堂保存修理委員会
事務局 山川宏之(山川会計事務所内)
電話 048-529-5874
プリツカー賞建築家・槇文彦氏による「立正大学熊谷校舎総合計画」 [建造物]
開設当時の熊谷キャンパス
『現代日本建築家全集 19 槇文彦』「立正大学熊谷校舎総合計画」より(上掲も)
熊谷市万吉にある立正大学の熊谷キャンパス施設の構造設計を担当したのは、京都国立近代美術館や幕張メッセなどの設計で世界的な名声を博し、「建築のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞した建築家の槇文彦氏でした。槇氏による「立正大学熊谷校舎総合計画」に基づいて校舎の配置を含めた設計が進められました。その後、キャンパス内の建築物は改築されるなどの変化を経て、当初の計画より増幅された状況が見られますが、耐震のための改修工事の基本的理念においても槇氏の計画が生かされています。著名建築家による建築的遺産が熊谷に存在する意味は大きいように感じます。今日に引き継がれた点、改築後に新たな形式となった点など、興味深い点は多々ありますが、立正大学熊谷キャンパスに足を運ぶ機会がありましたら、建築物にもご注目ください。