摩多利神社 [建造物]
妻沼聖天山歓喜院から西に国道407号線の登戸の交差点を越えて進み、一つ目の信号を右折、300メートルほど北に進んで路地を入ったところに摩多利神社があります。少し小高くなった丘の上に、木々に囲まれてひっそりと佇んでいます。この丘は、古墳時代後期の円墳で、その墳丘上に社殿が鎮座しています。
造りは国宝・歓喜院聖天堂と同じく、本殿と拝殿を廊下状の「石の間」で繋いだ、いわゆる権現造り。本殿の彫刻は、聖天堂と比べると随分落ち着いていますが、軒下の霊獣や丸彫りで立体的に表現された波など、一つひとつの彫刻はとても緻密に彫られています。一見、白木のように見えますが、龍や獅子の口内に赤い顔料が確認できることから、おそらく彩色が施されていたものと思われます。
昭和3年11月妻沼町教育委員会発行の『妻沼町誌 全』には次のように記されています。
摩多利堂
本尊 摩多利尊天
由緒 不詳
本堂 間口 二間 奥行 二間
渡殿 間口 九尺 奥行 二間
境内 五一四坪
縁起 本堂は歓喜院持にして大塚に在り樹木鬱蒼として古色を存す疫病除の尊天として、諸人
の信仰甚だ厚し。
文化財指定のされていない社寺建造物は、保存修理のメンテンナンスが行き届かず、十分な保護が受けられないものも数多くあります。
先人たちが残した貴重な遺産を再認識し、地域全体で当地の歴史を守り受け継いでいくことが求められています。
造りは国宝・歓喜院聖天堂と同じく、本殿と拝殿を廊下状の「石の間」で繋いだ、いわゆる権現造り。本殿の彫刻は、聖天堂と比べると随分落ち着いていますが、軒下の霊獣や丸彫りで立体的に表現された波など、一つひとつの彫刻はとても緻密に彫られています。一見、白木のように見えますが、龍や獅子の口内に赤い顔料が確認できることから、おそらく彩色が施されていたものと思われます。
昭和3年11月妻沼町教育委員会発行の『妻沼町誌 全』には次のように記されています。
摩多利堂
本尊 摩多利尊天
由緒 不詳
本堂 間口 二間 奥行 二間
渡殿 間口 九尺 奥行 二間
境内 五一四坪
縁起 本堂は歓喜院持にして大塚に在り樹木鬱蒼として古色を存す疫病除の尊天として、諸人
の信仰甚だ厚し。
文化財指定のされていない社寺建造物は、保存修理のメンテンナンスが行き届かず、十分な保護が受けられないものも数多くあります。
先人たちが残した貴重な遺産を再認識し、地域全体で当地の歴史を守り受け継いでいくことが求められています。