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肥塚古墳群と古塚古墳石棺 ― 2 [その他]

↓②西側面 ③蓋石A[右斜め下] image003s.jpg ←①小口北側




↓④東側面
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⑤南側小口→ image010s.jpg image012s3.jpg
↑⑥棺身の隅部
 石棺材の状況と数値は現状のものです。①~⑥の写真のとおり風化崩壊が進んでいるため当初の整形痕は不明です。発見時、石棺は長さ約2m、幅約1.2mあったとされ、現状では長さ約1.4、幅約0.8m、高さは約0.4mで、棺身の深さ0.5mだった法量からすると復元された石棺は、一回りも小さくなっており、棺身の北面小口部と棺床はほとんど失われていると思われます。両側面と南側小口部も2~3片に分断する状況です。おそらく崩壊した棺身の大破片をなんとか当初の位置に配置したためでしょう。北小口以外は石目が通ることから本来の位置と思われます。L字形に残る南面小口隅部が唯一残る石棺の痕跡といえます。棺身の厚さは20cm・棺底は10cm前後だったと思われます。
 問題は現状の蓋石です。記録では別置きの蓋石Bが当初とされていますが、A・Bともその使用が疑問です。第一の疑問は、想定される棺身と蓋の規模が合いません。風化が進んでいるとしても棺蓋としての成形加工が全くみられません。蓋石ABの材質は粗粒の黄灰色凝灰岩と近似していますが、棺身は細粒の灰白色凝灰岩で異なっています。当時の石棺蓋は棺身に合わせ蒲鉾型や家形などに加工することが当時の葬送儀礼と考えられ、その類例も多数で、自然石又は截石のまま棺に使用する例は組合せ式石棺と呼ぶ別の葬法になります。おそらく棺蓋は石棺掘出しまでに崩壊していたのではないかと思われます。
第二の疑問は蓋石に見られる別の加工痕跡です。蓋石Aに明瞭ですが側面に矩形の截欠
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⑦蓋石B
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⑧蓋石A 側縁に見られる截欠 ⑨石室石材-長方形一部に截欠がある
と平坦面を造り出しています。蓋石Bにも截欠が認められます。このことは蓋石ABは古墳石室の側壁に使われていたことを示しています。このような大型の石材に別の方形や長方形の截石(写真⑨)を組上げて石室を作り、外面を大量の粘土で被覆する方法は截石組石室と呼び凝灰岩産出地の古墳では後期から終末期にかけて多く見られます。市域では野原古墳群や塩古墳群、瀬戸山古墳群などに遺されています。肥塚古墳群中に凝灰岩使用の截石組石室が存在したことは注目される事実です。この蓋石とされる凝灰岩は肥塚古墳群中に截石組横式石室が存在したことを物語っています。なお、明治期に粘土槨の発見と記される部分については石室を覆う粘土の被覆だった可能性があります。(新井)
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