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寺内廃寺の整理から―2 平安時代の籾の痕跡 [奈良平安時代]

 弥生時代の土器には籾跡圧痕の残ることが稲作の証拠として取り上げられますが、弥生時代以後も稲作は続けられています。ときおり、火災建物跡などから炭化したモミやおにぎりが発見されて話題となります。
 寺内廃寺から出土した土師器坏に籾跡痕が残っていました。坏に埋もれたように深く残る圧痕から、坏に付着したというより埋め込んだという印象を受けます。縄文土器には意図的に豆類を埋め込んだ例も知られ、特別に作られた品ではないかとの推定もあります。寺内廃寺から出土した坏に籾とはどんな意味があったのでしょうか。なお、この坏は現在のごはん茶碗のような手持ちの容器で、この形は寺内廃寺では灯明血にも使われています。
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写真1 土師器坏 左側―外面、右側―内面 籾痕が残る

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写真2 同じ種類の坏 この坏は灯明皿に使われていた。

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写真3 籾痕の拡大  米の収穫期頃に土器を造っているとも推定できます。
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出土瓦から―4 ―指紋事例の追加― [奈良平安時代]

 寺内廃寺の東院集落は金堂。塔のある伽藍地の東から東北に広がり溝で区画されています。その内部には竪穴住居や堀立柱建物、鍛冶炉などが確認され大量の遺物が出土しています。同所から出土した遺物にも工人の指紋が残る瓦や土器がありました。
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写真1 須恵器甕の破片に残る指紋  右は拡大。拇指か

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写真2 平瓦に残る指紋    右は拡大。拇指か


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寺内廃寺の整理から―1 ―古代の坏は左利き― [奈良平安時代]

 寺内廃寺の東院集落の遺物整理から気付いたことを紹介しています。平安時代初期以降(9世紀代)、ほとんどの須恵器坏は底部に回転糸切離痕がそのまま残っています。製作地は南比企窯跡群と末野窯跡群からもたらされるもので、時代が下がるほど末野窯か、未確認の末野系窯ではないかと考えています。寺内廃寺の出土品の場合、底部や体部に墨書文字の痕跡が残ることが多いので、舐め回すように観察しています。
 写真1~4で見るとおり、糸切り痕の位置が左右に偏っている例がいくつか出てきました。この糸切の偏りは何を示すかというと、ろくろの回転方向が右回転か左回転かということです(註)。この差は工人が右利きか、左利きかということを示すものと思います。今まで数百の須恵器坏を見てきましたが、ほとんどの糸切痕は写真3,4に区分されます。つまり、右回転、右利きの工人による製作と思われます。写真1、2のような左回転、左利き工人の製品はちょっと珍しいと思います。
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写真1 写真3
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写真2 写真4

 ※(註)右回転と左回転 ろくろの回転の定義は作業者から見て(上から見て)区別する。時計回りを右回転、逆時計回りは左回転になります。粘土柱と製品を回転のまま糸を輪掛けし左右に絞るように手前に引くと粘土柱と引き上げた製品が糸によって切り離せる。このとき粘土柱と製品の坏底部に回転により偏った弧線が糸切痕として残る。坏底部の糸切痕が左に偏っているものは右回転、右に偏っているものは左回転になります。
 日本では現在までほとんど右回転が主流ですが、中国では左回転が主流のようです。この左右の差は単に利き腕の差だけではないような気もします。
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寺内廃寺の塑像 -9 邪鬼 [奈良平安時代]

 仏法に敵対する勢力とも、また信仰を妨げる迷いのこころを具現したともされる邪鬼は、異形の姿で表現され、圧倒的な迫力と強固な意志を表現した神将たちに押さえつけられています。仏像に表現された邪鬼は斑鳩の法隆寺金堂の四天王像の台座にみえるのが初期の例とされています。法隆寺の邪鬼は5本の指を持っていますが、寺内廃寺の時代に近い東大寺戒壇院の四天王像では手は3本指で、足は2本指に表現されています。この仏像は粘土を材料とした塑像で、寺内廃寺と同じ技法で造られたものです。増長天は起き上がろうとする邪鬼の腹と頭を踏みつけている。凶悪の相を見せる邪鬼は3本の指、2本指の足を力ませ天王をはね返そうと力んでいます。寺内廃寺の塑像は3本爪が短く付け根は甲高くつくられているため、足としているのですが、邪鬼ではなく獅子など動物の可能性も考えられそうです。
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増長天像の邪鬼 広目天像と多聞天像と足下の邪鬼

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寺内廃寺塑像 獣脚か 聖天山 貴惣門 持国天像邪鬼の足裏 指2本

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寺内廃寺の塑像 -番外編 熊谷の邪鬼 [奈良平安時代]

 間もなく2月3日の節分を迎えますが、市内の各家庭でも社寺でも節分会が行われることでしょう。前回寺内廃寺の塑像から邪鬼の姿を想像したのですが、遺存部が少なく全体像を想定することはまだ難しいようです。ただ、参考として市内の寺院で邪鬼を見ることができるので紹介しておきます。
 妻沼聖天山の貴総門の左右には巨大な多聞天像と持国天像が並び立ち、その足元にはそれぞれ1体の邪鬼が踏み敷かれています。おどけたような身振りと表情をしていますがなぜか哀愁も漂うその造形に強い印象が残ります。両像は平成29年3月に修復されています。
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貴総門 左右に天王像が配される。
北(右)側の持国天像高さ約3.1m →

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多聞天像邪鬼―南(左)側 持国天像邪鬼―北(右)側

 邪鬼について、詩人の水尾比呂志は邪鬼について次のように表現しています。
「信仰篤かった時代に生きた人たちは、仏を礼拝して低く垂れた頭の眼前に、この醜悪な肉塊を見出しては、仏国土にふさわしからぬ異端者とまゆをひそめたかもしれぬ。あるいは因果応報を眼前に見る心地で、あるいは邪悪の戒めの端的な例証として、また仏法を守る強力な護法神の力の証明としてこの憐れむべき態たらくを肯うたことだろう。誰にも愛されず、だれにも認められず、威丈高な四天王の重圧の下に、踏みつけられ押し潰され、蹴飛ばされこき使われ、嘲られ罵られ辱められ、歯牙にもかけられず見捨てられ、指さし笑いの的にされる。邪鬼はまこと悲しい宿命の生き物であった。 だが、今日私たちは、この疎外された無用者に、なぜか心を惹かれる。日陰者に光を当てようとする。浄土の異端者に親しさを覚えるのである。」―水尾比呂志 1967『邪鬼の性』 淡交社―
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寺内廃寺の塑像 -8 如来の髪2 [奈良平安時代]

 螺髪は仏像一体につき数百個の数量を必要とするので、形を揃え、数量を用意するには型の使用が適当な方法です。鳥取県の「御堂廃寺」からは螺髪用の「合わせ型」が見つかっており、多くの塑像螺髪の製作は型作りによったようです。
 その一方で寺内廃寺出土のⅡ類とした三角錐やⅢ類とした砲弾形の螺髪は、みな旋毛の表現が沈線でなされています。細く深い沈線は金属ヘラか金属針を使用しているのではないかと想定されます。螺旋も左右の巻きが不明瞭で巻き数も一定ではありません。形状や大きさに差が見られることから、手作りであることは明らかですが、使われた仏像も複数体であったと思われます。
 なお、三角錐状の螺髪は椿市廃寺(福岡県)、阿部廃寺(奈良県桜井市)、清水遺跡(加東市)弥勒寺跡(岐阜県関市)など白鳳期の寺院跡から出土してるようです。
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Ⅰ類 Ⅱ類 Ⅲ類


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寺内廃寺の塑像 -7 如来の髪1 [奈良平安時代]

 螺髪は阿弥陀如来、薬師如来などの悟りを得た最高位の仏の頭上に現れた特徴ある毛髪です。観音・弥勒といった菩薩と・毘沙門天・不動などの天部の諸尊は直毛の表現です。寺内廃寺から出土した螺髪は大まかに三種類があります。ひとつはⅠ類としたサイロ型の螺髪です。上部の螺髪表現部分、円筒状の体部、底面を観察すると、底面の裾が突出し、指紋と思われる線文のみられる例もあります。円筒の中心から右巻き3回転半の螺旋を持ち、大きさもほぼ一定です。螺旋部分には共通して細かい線が映しとられており、型作の際についた面ズレや型自体の傷の可能性があります。おそらく、木型に彫り込んだ螺髪形の穴に粘土を押し込んで製作しているようです。寺内廃寺の場合は菓子型のような一度に複数個作れるような「押し込み型」を用いたとのではないかと考えています。
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寺内廃寺の塑像 -6 [奈良平安時代]

 塑像と想定している破片は細片を含めると100点を超えます。焼け落ちた壁土と混在していましたが、塑像下地粘土と微妙な差があり区分したところです。破片同士の接合は何点かできましたが、顔部分を含め姿体、衣文部などほとんど見当たりません。元の像容を知るためには数が少なく、困難な状況です。まったくの想像ですが、阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音菩薩、四天王、従者等が存在していたと考えています。発掘調査は一部分だけですので、将来の調査で見つかることを期待しています。
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破片の一部
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焼土壁

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寺内廃寺の塑像 -5 [奈良平安時代]

 模様と思われる刺突痕のある破片がいくつかあります。一定の部分を埋めるような「地文」でしょうか。服の模様でしょうか。他にも弧状の沈線が刻まれた大小の破片があります。菩薩の後頭部うなじ付近の髪の表現と思われます。刻線の大小、彫りの差異から数体分と思われます。
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寺内廃寺の塑像 -4 [奈良平安時代]

 顔とわかる破片です。瓦礫と共に中門跡から出土しました。9cmほどの小像ですが、目を突出させた魁偉な容貌をしています。このような仏顔は十一面観音の頭上面の一つ「瞋怒相」の一面と思われます。下地粘土から中土、仕上げの化粧土の三層構造がよく観察されます。
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顔面部の写真 正面・裏面 十一面観音頭部 東京国立博物館


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