熊谷市指定文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大仏)の見学 [仏像]
熊谷市指定文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大仏)
左側が観音菩薩、右側が薬師如来
熊子連の見学隊メンバー
7月28日、熊子連の「くまがや郷土かるた」巡りバスツアーが開催され、見学地の一つとして、熊谷市平戸にある熊谷市指定文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大仏)を訪れました。普段は公開されていない仏像ですが、観音菩薩と薬師如来が並ぶ形態で、県内でも有数の規模を誇る木彫の大仏です。見学隊には市内の小中学生を中心としたメンバーが参加し、仏像についての伝承と、平戸地区の歴史などを説明しました。皆さんは見る機会の少ないその規模と迫力に驚いていました。
縄文ZINE8 配布中 [その他]
都会の縄文人のためのマガジン『縄文ZINE8』を、江南文化財センターで配布中です。
今回の特集は、恋する縄文、女子目線の記事満載です。ちょうど、東京国立博物館で特別展『縄文』開催中の折、ご興味ある方は、残部10部ほどですがお分けしていますので、江南文化財センターまでお越しください。
熊谷市立江南文化財センター
熊谷市千代329番地
電話 048-536-5062
平成30年度 「あなたも古代人!!」開催 [普及事業]
毎年恒例、江南文化財センター夏季体験事業「あなたも古代人!!」のまが玉づくりが本日で3日目、最終日を迎えました。
午前中は、台風12号の影響で時折激しい雨が降る中でしたが、26人の親子が、それぞれ思い思いにまが玉づくりを楽しんでいました。また、まが玉づくりの後は、火起こしも体験し、充実したものになったと思います。
来週からは、他の体験メニューも始まります。まだ空きのあるメニューもありますので、お問い合わせの上、奮ってご参加ください。
お問い合わせ
熊谷市立江南文化財センター
電話 048-536-5062
熊谷デジタルミュージアムも合わせてご覧ください。http://www.kumagaya-bunkazai.jp
「くまぴあ」の地域歴史講座「中山道の歴史と文化財」 [近世]
熊谷の俳諧研究会―熊谷の句碑と金子兜太文学ーの動画をアップ [普及事業]
7月15日に熊谷市の名勝「星溪園」で開催した「熊谷の俳諧研究会―熊谷の句碑と金子兜太文学ー」の動画をYouTubeの江南文化財センターのサイトにアップしました。ご覧ください。
曰くありそうな玉石 山王様の子宝石? 力石? [近世]
広瀬の熊谷運動公園の南側に、国指定史跡「宮塚古墳」が所在しています。上円下方墳という座布団の上にお供え餅を置いたかのような形をしています。広瀬古墳群中の一古墳ですが今の季節は水田中に浮かぶ小島のようです。
広瀬古墳群は他にもいくつか古墳が残っていますが、古墳上に「山王社」を祀った円墳が近くにあります。子授け、安産祈願の信仰が篤く、奉納された多くの小絵馬が知られています。この塚のふもとに、鳥居の脇になりますが風格を感じさせる一抱えもある卵型の石がコロンとしています。荒川の転石だったのでしょうが、山王社の場所と合わせ産育にかかる依代など信仰に関係したものと思います。以前、中条でみたような「力石」であったかもしれません。見た限りでは刻銘などは無いようですが、100㎏近くありそうです。
参考:平井加余子1993「子授け、安産祈願」『熊谷の絵馬』立正大学北埼玉地域研究センター
広瀬古墳群は他にもいくつか古墳が残っていますが、古墳上に「山王社」を祀った円墳が近くにあります。子授け、安産祈願の信仰が篤く、奉納された多くの小絵馬が知られています。この塚のふもとに、鳥居の脇になりますが風格を感じさせる一抱えもある卵型の石がコロンとしています。荒川の転石だったのでしょうが、山王社の場所と合わせ産育にかかる依代など信仰に関係したものと思います。以前、中条でみたような「力石」であったかもしれません。見た限りでは刻銘などは無いようですが、100㎏近くありそうです。
上面 | |
横面 | |
山王社の修理碑 | 曰くありそうな「玉石」手帳の縦長約16㎝ |
参考:平井加余子1993「子授け、安産祈願」『熊谷の絵馬』立正大学北埼玉地域研究センター
国史跡指定記念「幡羅官衙遺跡群」 特別展開催! [展示]
熊谷市立江南文化財センターのブログ「熊谷市文化財日記」の閲覧数が累計100万を突破しました。熊谷市の文化財情報を発信しているブログサイトに多くの皆様からのご興味ご関心をいただき、感謝申し上げます。今後ともご愛顧のほど宜しくお願い致します。
本日から江南文化財センターにて国史跡指定記念「幡羅官衙遺跡群」特別展が始まりました。
西別府祭祀遺跡の石製模造品や西別府廃寺の屋根瓦の再現展示などを展示しています。
また、深谷市教育委員会からは幡羅官衙遺跡の出土遺物を借用し、併せて展示しています。
さらに、来週からは市内の別府公民館でも同時開催します。そちらもお楽しみに!
準備作業 その1
準備作業 その2
特別展入口から
本日、熊谷市では41.1℃の国内最高気温を更新しました。熊谷市では熱中症の対策として市内のいくつかの公共施設はクールシェアを目的としたクールスポットです。江南文化財センター、別府公民館もそのクールスポットとなっていますので、涼みを兼ねてぜひ「幡羅官衙遺跡群」特別展にお越しください。
第1会場 熊谷市立江南文化財センター
会期 平成30年7月23日(月)~12月28日(金)
URL http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/
第2会場 熊谷市立別府公民館
会場 平成30年7月30日(月)~12月28日(金)
URL http://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/kyoiku/tiikikouminkan/beppu.html
本日から江南文化財センターにて国史跡指定記念「幡羅官衙遺跡群」特別展が始まりました。
西別府祭祀遺跡の石製模造品や西別府廃寺の屋根瓦の再現展示などを展示しています。
また、深谷市教育委員会からは幡羅官衙遺跡の出土遺物を借用し、併せて展示しています。
さらに、来週からは市内の別府公民館でも同時開催します。そちらもお楽しみに!
準備作業 その1
準備作業 その2
特別展入口から
本日、熊谷市では41.1℃の国内最高気温を更新しました。熊谷市では熱中症の対策として市内のいくつかの公共施設はクールシェアを目的としたクールスポットです。江南文化財センター、別府公民館もそのクールスポットとなっていますので、涼みを兼ねてぜひ「幡羅官衙遺跡群」特別展にお越しください。
第1会場 熊谷市立江南文化財センター
会期 平成30年7月23日(月)~12月28日(金)
URL http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/
第2会場 熊谷市立別府公民館
会場 平成30年7月30日(月)~12月28日(金)
URL http://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/kyoiku/tiikikouminkan/beppu.html
星溪園うちわ祭お茶会 [普及事業]
出雲乃伊波比神社の板井屋台囃子と格天井絵 [民俗]
板井の出雲乃伊波比神社例祭の屋台巡行。板井屋台囃子が田園地帯に響く。
出雲乃伊波比神社拝殿の格天井絵
7月14日、熊谷市板井の出雲乃伊波比神社で夏の例祭が開催され、熊谷市指定無形民俗文化財の「板井屋台囃子」が屋台巡行とともに披露されました。当社は式内社として長い歴史を有し、板井地域の氷川神社、八坂神社、龍田神社、稲荷神社、天満神社、神明神社、山神社、富士山浅間神社などを合祀した村社としての信仰の場となっています。元来は、鹿島神社といわれていましたが、明治28年に出雲乃伊波比神社と改称されました。明治4年からは、太鼓の「ヒバリバヤシ」を載せた屋台が神輿と共に板井区内を賑やかに一巡するようになり、「板井の天のう様」とも呼ばれています。
また、祭礼の際に特別に公開された本殿(拝殿)の内部を確認したところ、江戸時代末期頃の制作と考えられる格天井絵があり、その表現技術の高さや彩色の保存状況の良さが感じられました。同時期の作例として、板井と同じ江南地域の上新田にある県指定文化財となった「諏訪神社本殿」の拝殿に当たる社殿に嵌め込められた格天井絵があります。この絵画については江南より南方の比企地域の絵師群がかかわったとの伝承があり、その関連にも興味が湧いてくるところです。
旧代村屋台 約100年ぶりの組立復元 [民俗]
組立復元された旧代村屋台
7月15日の公開に合わせた解説会
熊谷市の中部に位置する代地区(旧代村)で江戸時代中期より行われている八坂祭礼があり、現在では神輿渡御を中心とした夏祭礼が開催されています。かつては屋台を巡行させ、熊谷八坂祭礼(熊谷うちわ祭)に囃子・演芸の屋台として参加したとの伝承も残っています。
この度、平成30年7月15日の祭礼に合わせて、同地区の屋台が約100年ぶりに組立復元され、一般公開されました。公開に際して江南文化財センター担当者による解説会を開きました。屋台の概要と同地区との関わり合いについては次のとおりです。
平成30年(2018)、地元の住民を中心に、神輿庫に隣接する倉庫において保管されていた部材を組み立て、屋台を復元したいとの機運が高まり、6月より作業が開始されました。そして試行錯誤しながら当地の鳶職(13番組)などの指揮により部材を組み立て、屋根や幕などを除く部分の大半の復元が可能となりました。
明治時代後期には屋台巡行が行われていたと伝わり、明治43年に、同八坂神社は同地区の八幡神社に合祀され、社殿等もなくなる中で、その後の数年は巡行されましたが、昭和時代の初期には屋台巡行が行われていなかったことを踏まえると、約100年ぶりの組立復元となったことが推定されます。この屋台は旧代村の歴史を今に伝える貴重な遺産としての価値が再認識できるものです。規模は横幅2.3メートル、奥行き全長4.5メートル、車輪部を含む高さ3.8メートルです。
屋台の内容として特徴的なのが前後の破風下にある懸魚彫刻と、上部の鬼板彫刻があり、特に前方の「鶴」と「亀」の秀逸な彫物が残されているほか、その時代後者によって描かれたとされる鬼や植物、富士などの絵が残されています。また車輪についても4つの木製車輪があり、現在においては移動は難しいが、同地域において多数である3輪型ではない残存例として貴重と考えられます。左右の脇障子には簡素ながら彫り物が施されています。屋根や幕などは保存されていないものの、全体としては強固な木組みによって構成され、部品ごとを組み立てるための番付の記載もあり、緻密な嵌め込み技術が確認できます。