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旧代村屋台 約100年ぶりの組立復元 [民俗]

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組立復元された旧代村屋台

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7月15日の公開に合わせた解説会


 熊谷市の中部に位置する代地区(旧代村)で江戸時代中期より行われている八坂祭礼があり、現在では神輿渡御を中心とした夏祭礼が開催されています。かつては屋台を巡行させ、熊谷八坂祭礼(熊谷うちわ祭)に囃子・演芸の屋台として参加したとの伝承も残っています。
 この度、平成30年7月15日の祭礼に合わせて、同地区の屋台が約100年ぶりに組立復元され、一般公開されました。公開に際して江南文化財センター担当者による解説会を開きました。屋台の概要と同地区との関わり合いについては次のとおりです。

 平成30年(2018)、地元の住民を中心に、神輿庫に隣接する倉庫において保管されていた部材を組み立て、屋台を復元したいとの機運が高まり、6月より作業が開始されました。そして試行錯誤しながら当地の鳶職(13番組)などの指揮により部材を組み立て、屋根や幕などを除く部分の大半の復元が可能となりました。

 明治時代後期には屋台巡行が行われていたと伝わり、明治43年に、同八坂神社は同地区の八幡神社に合祀され、社殿等もなくなる中で、その後の数年は巡行されましたが、昭和時代の初期には屋台巡行が行われていなかったことを踏まえると、約100年ぶりの組立復元となったことが推定されます。この屋台は旧代村の歴史を今に伝える貴重な遺産としての価値が再認識できるものです。規模は横幅2.3メートル、奥行き全長4.5メートル、車輪部を含む高さ3.8メートルです。

 屋台の内容として特徴的なのが前後の破風下にある懸魚彫刻と、上部の鬼板彫刻があり、特に前方の「鶴」と「亀」の秀逸な彫物が残されているほか、その時代後者によって描かれたとされる鬼や植物、富士などの絵が残されています。また車輪についても4つの木製車輪があり、現在においては移動は難しいが、同地域において多数である3輪型ではない残存例として貴重と考えられます。左右の脇障子には簡素ながら彫り物が施されています。屋根や幕などは保存されていないものの、全体としては強固な木組みによって構成され、部品ごとを組み立てるための番付の記載もあり、緻密な嵌め込み技術が確認できます。



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出土瓦から ―繕いの痕― [奈良平安時代]

 瓦は何千、何万を必要とするので、道具類の消耗や補給は日常的と思われ、敷布も破れ使用不能になる場合も想定されます。瓦工房では布が不足してすぐに交換できなければ、当座は繕い修理をして使い続けることになります。そのような事情を物語る布目瓦が実際に製作されたことは生産地である瓦窯跡でも確認されています。納入先の遺跡である「寺内廃寺」からも見つかっています。
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写真1では粗目の布と中目の布をつづり合わせています。

写真2では綴り合せた糸目の末が見えています。
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写真3 「かぎ裂き」か「ほころび」に方形の別布で「継あて」した痕が見えます。
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 寺内廃寺例のような布目瓦が他の寺院跡か瓦窯跡かあるいは他の場所で確認されることで、埋もれた歴史が掘り起こされることになるでしょう。平瓦は女瓦とも言いますから瓦姉妹の再会というべきでしょうか。

写真4 布継の残る平瓦 左下隅に指紋も残っていました。
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