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出土瓦から ―古代の布― [奈良平安時代]

 寺内廃寺が建てられた男衾郡から税金として納められた「調布」の現物が東大寺正倉院に収められています。一反の布の隅には貢納者の氏名が次のように書かれています。『武蔵国男衾郡□(犭編に烏)倉郷笠原里飛鳥部虫麻呂調布一端 天平六年十一月』この布は西暦734年に笠原里の想定地埼玉県比企郡小川町に住む飛鳥部虫麻呂の名で武蔵国府から調の税として平城の都に送られたものです。「調布」とは中位程度の品質とされています。これらは庶民の衣服や生活用具などに主に使われたようです。瓦造りでは「商布(麻)」を使用していることが製作仕様書に当たる「延喜木工寮式」に見えています。平瓦用では1尺5寸(約45㎝)の商布を使い、2000枚の瓦を作れるとしています。
※ 調庸の布は中~下位の品質とされ「調布・庸布、交易布、商布」などに区分されていたようです。。
写真1  敷き布が破れている丸瓦の湾曲内面
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写真2 細目布(1㎝当たり18~20本)と粗目布(1㎝当たり10~15本)の繋いである布目
kawara2-2.jpg
※「里」は30戸以上を1単位とした集落のまとまり、「郷」とも表記する。男衾郡は8か所の里(郷)があったとされる。なお、1戸は戸主とその家族を成員とした集団、親の世代と子の兄弟、孫子までを含む血縁の近い親族であったことが遺された戸籍などから知られる。
参考文献 熊谷市史資料編2「古代・中世」
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