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立正大学外国人留学生の愛染堂見学とレクチャー [普及事業]


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熊谷にキャンパスがある立正大学の外国人留学生が、熊谷市下川上などの星宮地区をフィールドワーク調査するにあたり、同地域にある宝乗院愛染堂を見学しました。それに際して、えいごでの解説レクチャーを行いました。絹産業遺産群との関わりや、地域の歴史、養蚕・染物産業などからの信仰についても紹介しました。留学生たちは、本尊の愛染明王や藍染絵馬・奉納額の指定文化財を目にして、その形態や絵の美しさや、独特の文化性に関心を寄せていました。







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「もの」と「ひと」の旅―3 権力のかたち  金銀の輝きとヒスイ [紀行]

 古墳時代になると、大豪族から庶民まで、出身一族への帰属意識と大王家に属する政治的地位を意識するようになり氏(氏)や姓(かばね)といった出身や身分を主張するようになります。権力や身分をわかりやすく示すために、金銀宝玉で自己や周囲を飾ること、大規模古墳の造営・武器の獲得などに熱心だったようです。出土品には玉類に加えて金銀の製品が目立つようになります。当時の金銀の産地は日本では知られておらず大陸からの招来品と思われますが、市域の多くの古墳からも金・銀を使った「耳飾」「馬具」「刀装具―刀や鐔など」が発見されています。秩父地域から自然金も産出しますがその利用は多くはないようです。
 また、市内の鵜ノ森遺跡から出土した腰に付けたベルトの装飾品「石帯」は秩父ヒスイで造られたことが分かっています。秩父地域では銅の産出も有名で、鉱産物資源の開発が盛んであったことをうかがわせます。これらの貴金属や宝玉を身に着けたひとは古墳時代は有力豪族の成員、奈良時代は地方役人のような人物だったと思われます。
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1 鍍金耳飾―野原古墳出土 2 銀象嵌鐔と鞘口金具―塩西原18号古墳出土

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3 銀装把金具―塩西原18号古墳出土 4 秩父ヒスイ製「石帯」鵜の森遺跡出土

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