旅の記憶‐2 幡羅郡新四国八十八ヵ所霊場 妻沼聖天山 [紀行]
幡羅郡八十八ヵ所に該当するほとんどの寺院は現在でも存続していますが、明治維新による神仏分離政策のため廃絶した寺院は20ゕ寺ほどで、消滅あるいは一堂だけの状態で存続しています。そのため江戸時代に完成された札所番付も明治時代以降に再編されたようです。参考「寺院番付表」(『新四国八十八ヵ所霊場』長谷川宗平1986による)
当時の石造物や御詠歌額を見るとそのような転変の歴史が窺えます。新緑の候、身近な幡羅郡内の札所巡り、その歴史を訪ねて散策はいかがでしょうか。
いまは「聖天山歓喜院」は幡羅郡新四国八十八ヵ所霊場では第13番札所となっている他、関東の霊場にもなっています。また聖天山の境内には「四国八十八ヵ所霊場」の塔が所々に建てられており、ミニ札所巡りができるのも楽しい。
当時の石造物や御詠歌額を見るとそのような転変の歴史が窺えます。新緑の候、身近な幡羅郡内の札所巡り、その歴史を訪ねて散策はいかがでしょうか。
↑ 聖天山「中門」に懸かる札所番付、左側の札が「幡羅郡新四国札所」の標示札 |
妻沼聖天山の御朱印 | 四国 第八十一番白峯寺の塔 |