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「もの」と「ひと」の旅―1  土器と黒曜石―・船川遺跡 [紀行]

 考古学の研究から、本格的な定住がはじまったのは、土地に働きかけ収穫物を獲る農耕社会になってからとされ、日本では弥生時代より二千年超を経過したといったところです。弥生時代以前の縄文時代から旧石器時代は一時的な定住はあったにせよ、16,000年以上の期間が移動回遊を生活の基本とした旅の時代でした。旧石器時代は石器のみ、縄文時代は土器が加わり生活の痕跡である集落や墓所などに遺された品が発見されることになります。 
 旧石器時代の遺物はほとんど石器しか残りませんが、良く発見される石器は斧や槍先・ナイフなど刺したり切ったりする道具と考えられています。黒曜石と呼ぶ火山ガラスの石材が使われることが多く、八ヶ岳(長野県)や箱根(神奈川)、神津島(東京)などの火山地帯に産出地があり、市域にはこれらの産地から運ばれたことが明らかです。
 写真1は籠原裏遺跡から出土した黒曜石製の尖頭器。写真2は船川遺跡で発見された石鏃で特徴的な形(ほぼハート形)と製法(厚みの部分を研磨する)から「局部磨製鍬形石鏃」と呼ばれるものです。これらの石器は八ヶ岳周辺の黒曜石産地のひとつ、西霧ヶ峰近辺から採取されたと推定されています。船川遺跡からは樋沢式土器と呼ぶ山形押型文土器(ジグザク溝のタイヤを転がしたような模様を持つ―写真3)も出土しており、土器や石器が共通することから、岡谷市周辺や八ヶ岳周辺の人々との係りや石材等の移動が想定されます。
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