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旅の記憶‐20 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 3― [紀行]

 飯能焼の絵付デザイナー「腰塚小四郎」の得意技とも言える筒書、イッチンは彼の創案でしょうか。筒書は竹筒のような容器から白土を注ぎ出して描き、イッチンは革袋や布袋に入れた白土を絞り出して描くものです。前者の白土の線は平面となり早書きに適しています。後者の線は丸みを帯び細かい模様や図案に適していました。飯能焼そのものは当時の高級陶器であった「京焼(※)」に倣い生産されたもので「地方窯」と呼ばれる窯場が各地で、関東では益子・笠間などが代表であり、飯能焼も大消費地「江戸」を意識して造られたようです。
 さて、白土の線描きはもともと京焼の技法に見られるものです。飯能焼も他の地方窯と同じく高級陶器とされていた京焼の製品に近づけようとしたことが窺われます。小四郎は青年期に京焼の技法を学んでいたと考えてよいようです。小四郎は農民身分ですが、世襲の壁の高い職工となるには本人の意思と共に仲介者や援助者との関わり合いか気になるところです。江戸時代後期は各地で様々な産業の創業が試みられています。小四郎ものそのような気運の中、新時代を開拓しようとした一人なのでしょう。
 ちなみに白土の描線を用いた京焼系統の地方窯は、飯能焼のほかに益子焼(栃木県)、丹波焼(兵庫県)、唐津焼(佐賀県)などが知られています。さらに、現在は飯能焼を引き継ぐ新たな窯場が飯能市域に開かれています。
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写真 イッチン描の「鶴首形徳利」飯能焼原窯跡出土品 
   飯能市教育委員会1999『飯能の遺跡(27)』より転載
 
(※)京焼 野々村仁清や尾形光琳・乾山等がデザイン・製作した陶器
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旅の記憶‐19 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 2― [紀行]

 腰塚小四郎は飯能焼の開窯(1840年代前後か)に合わせたタイミングで窯場に招かれたようです。移籍の記録からすると、50歳代後半で絵付師として飯能焼の顔ともいうべき図案を一手に引き受けたということになり、その力量は年齢や積んだ経験からして他の窯場で相当の修業を経ていなければならず、また当時としてみれば人生の終盤での新生活開始には大きな決断があったと思われます。今のところ小四郎の前半生や人間関係は不詳の部分か多く、新たな資料の発見を待つところです。
 次に残された製品の語る所を見ましょう。飯能焼原窯の報告では小四郎の活動期はほぼⅠb期(1850年以降)とされますが、鍋蓋の秋草文はⅠa期から同じ絵付師の描くところと判断されることから移籍記録(嘉永六年-1851)以前から生産に関わっていたと推測されています。そうすると小四郎は40歳後半から50歳初めころに飯能焼に関わったのではないかと思われます。
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写真 飯能市郷館2001〈特別展〉黎明のとき―飯能焼・原窯からの発信― から転載
   ※ 博物館と共に飯能焼の里を訪れてみてはいかがでしょう
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慶應MCC美術史講座 (大原美術館館長・高階秀爾さん) [絵画史]

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講師を務めた高階秀爾さん

 2019年10月~12月にかけて熊谷市自己研修制度を活用して社会人大学講座を受講する機会を得ました。慶應義塾大学慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)において開講された美術史家・美術評論家・大原美術館館長の高階秀爾さんの美術史講座《人生を豊かにする芸術》を受講しました。第1回 古代ギリシャ、美の思想、第2回 キリスト教と中世、物語の誕生、第3回 ルネサンスとバロック、美の再発見と発明、第4回 近代、美の革命、第5回 ロマン主義と世紀末、新たな価値観、第6回20世紀から現代へ、地域を越える美の進行形という連続講座で、西洋美術の源泉を学ぶ貴重な時間となりました。各回では西洋の文化と日本の歴史との交流、影響関係などについても話題が及び、文化財絵画に対する知見を深めることがでました。熊谷の地で生かすことができたらと考えています。なお、講師を担当された高階秀爾さんは日本を代表する美術史研究者であり、西洋・日本絵画の普及啓発にも務めています。今後、熊谷での展覧会企画や共同事業を進めることを視野に、本市文化財に対するアドバイザーとしてご教示を頂戴する予定です。

大原美術館ホームページ
https://www.ohara.or.jp/

web中公新書
高階秀爾の仕事場
http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/102977.html

YouTube 高階秀爾 - 「アートの歴史は未来を語る」
https://m.youtube.com/watch?v=fhr6zqZnluU


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旅の記憶‐18 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 1― [紀行]

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写真  現在の「玉井寺(ぎょくせいじ)」(熊谷市玉井)

 江戸時代末から明治時代にかけて埼玉県の南西部に「飯能焼」という陶器が生産されていました。平成になり飯能市に窯場が確認され、幻ともいわれた「飯能焼」は、皿・徳利・鍋・急須など様々な日常雑器を造り続けていたことが分かりました。飴色やオリーブ色の器肌に白土で模様を描いたものが代表的な製品で、この白線模様は筒書又はイッチンと言い草花文や幾何学文・装飾文字など実にのびやかに迷いなく描かれています。
 この絵付を担当した「絵付師」は熊谷市玉井出身の腰塚小四郎という人物で、寛政6年(1794)に玉井村(当時)に生まれ明治9年(1876)に亡くなっています。嘉永6年(1851)に、56歳で真能寺村(当時の飯能市の一部)に移籍した記録(当時の戸籍に当たる『人別帖』管理した寺から移動先の寺院へ送付した「送り状」のこと)があります。おそらく家族とともに生活の拠点を熊谷から移したものでしょう。この時小四郎の妻は34歳息子は2歳でしたが、さらに長女と次男を儲け、次男の倉太郎が後継となり2代に渡り飯能焼の絵付師となっています。小四郎は亡くなるまでの25年の間、「飯能焼」の基礎を築きその発展を支えました。彼の描いた絵には「玉井庵志水」の雅号がみえ、自分の出所玉井を忘れることはなかったと思われます。

 参考文献
飯能市立博物館2001〈特別展〉黎明のとき―飯能焼・原窯からの発信―
浅見徳男1980「「飯能焼」陶工の系譜」埼玉地方史第9号
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能護寺鐘楼保存修理事業について [建造物]


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 今年度、熊谷市永井太田に所在する能護寺の鐘楼において保存修理事業を実施しています。熊谷市指定有形文化財「梵鐘」の収蔵建造物でもあり、市の補助事業として工事の監理等を行っています。
 高野山真言宗能満山能護寺は、天平15年(743年)に国家安穏・万民豊楽と五穀豊穣を祈願のため行基上人が開山し、後に弘法大師空海が再建されたと伝えられています。毎年6月上旬から6月下旬頃、境内に50種類800株をこえるあじさいが咲き、妻沼の「あじさい寺」として親しまれています。鐘楼にある「梵鐘」は、元禄14年(1701年)に鋳造されました。乳の間に百字真言の梵字が鋳込まれているのが特徴で、市の文化財に指定されています。鐘楼も同時期の建立とされていますが、その後の改修等で江戸時代後期に今の形状になったと推定されています。今回の鐘楼の保存修理事業は年度内に終了し、その他の境内整備も含めて次年度以降に完工する予定です。




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東京文化財研究所「第14回無形民俗文化財研究協議会」 [民俗]


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12月20日、独立行政法人国立文化財機構・東京文化財研究所において同研究所の無形文化遺産部主催の第14回無形民俗文化財研究協議会が開催されました。今回のテーマは「無形文化遺産の新たな活用を求めて」でした。全国の行政機関、研究機関、大学、研究者などが集い、現状の無形民俗文化財に関する課題などについて情報共有しました。発表の部では北海道教育大学の角美弥子准教授による「地域における無形の文化財活用の取り組み」などのほか、長野県南信州地域振興局から「同地域における民俗芸能継承の取り組み」などについて報告がありました。熊谷市教育委員会では毎年この研究協議会に参加し、本市における無形民俗文化財の保護や「地域伝統芸能今昔物語」の運営に係る知見を深めています。






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大原美術館「AM倉敷Vol.16 ワタリドリ計画 ―絵から旅する大原⇔岡山―」展示 [絵画史]


明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。


今年最初の日記は、遠くの街の美術館、岡山県倉敷市の大原美術館をテーマに記します。
その名も「ワタリドリ」。ふと、ロックバンドの[ALEXANDROS]の「ワタリドリ」を連想しますが、今回は大原美術館独自の取り組みについてご紹介します。


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現在、大原美術館(高階秀爾館長)で「AM倉敷Vol.16 ワタリドリ計画 ―絵から旅する大原⇔岡山―」が開催されています。大原美術館の収蔵品の中から画家の麻生知子と武内明子(ワタリドリ)が選んだ絵画作品を倉敷の人たちに見ていただき、「この絵のイメージの場所を岡山県内で教えてください」とお願いをします。そうして集まった複数の旅先をワタリドリが旅して、現地で作ったり、旅の印象から作った作品を大原美術館へ持ち帰るというワタリドリ計画。このプロジェクトによる作品、絵、陶、手彩色絵葉書、旅日記、大判のワタリドリ通信などが展示されています。


開催概要
会期
2020年1月1日(水・祝)~3月15日(日)
 ※会期中の休館日(いずれも月曜日)
 1月6日・20日・27日 2月3日・17日 3月2日・9日
会場  大原美術館 本館各所 (岡山県倉敷市中央1-1-15)
入館料 一般1.300円/大学生800円/高中小学生500円


大原美術館ホームページより
AM倉敷(Artist Meets Kurashiki)は、アーティストが倉敷との出会いを通じた作品を制作し、その発表を行う事業です。今展でご紹介するのは「ワタリドリ計画」。画家の麻生知子と武内明子(ワタリドリ)が、日本各地を旅して、その土地を題材にした作品を制作して発表を続けるアートプロジェクトです


大原美術館
所在地 〒710-8575岡山県倉敷市中央1-1-15
電話番号 086-422-0005
FAX番号 086-427-3677
E-mail info@ohara.or.jp
URL https://www.ohara.or.jp


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