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旅の記憶‐19 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 2― [紀行]

 腰塚小四郎は飯能焼の開窯(1840年代前後か)に合わせたタイミングで窯場に招かれたようです。移籍の記録からすると、50歳代後半で絵付師として飯能焼の顔ともいうべき図案を一手に引き受けたということになり、その力量は年齢や積んだ経験からして他の窯場で相当の修業を経ていなければならず、また当時としてみれば人生の終盤での新生活開始には大きな決断があったと思われます。今のところ小四郎の前半生や人間関係は不詳の部分か多く、新たな資料の発見を待つところです。
 次に残された製品の語る所を見ましょう。飯能焼原窯の報告では小四郎の活動期はほぼⅠb期(1850年以降)とされますが、鍋蓋の秋草文はⅠa期から同じ絵付師の描くところと判断されることから移籍記録(嘉永六年-1851)以前から生産に関わっていたと推測されています。そうすると小四郎は40歳後半から50歳初めころに飯能焼に関わったのではないかと思われます。
旅の記憶19-2s2.png
写真 飯能市郷館2001〈特別展〉黎明のとき―飯能焼・原窯からの発信― から転載
   ※ 博物館と共に飯能焼の里を訪れてみてはいかがでしょう
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