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遺跡発掘作業員の募集について [お知らせ]

熊谷市内池上地区(池上遺跡)における埋蔵文化財発掘調査作業員を募集します。(詳細は下のリンクを参照)


調査期間: 令和2年4月から最大4年間を予定
人  数: 50名程度
勤 務 日: 月曜日から金曜日まで
勤務時間: 9時から15時まで(原則1日5時間もしくは6時間、週20時間未満)
賃  金: 時間給979円(予定)
交 通 費: 1日あたり100円(予定)
ただし、勤務地から2km以上の者に支給
応募資格: 令和2年4月1日現在、満18歳以上の心身ともに健康で発掘調査作業ができる方で、週3日以上勤務できる方。(ただし、高校生は除く)
申込方法: 添付資料(会計年度任用職員(補助職員)登録申込書)に必要事項を記入の上、令和2年3月13日(金)までに江南文化財センターまで提出してください。
選考方法: 提出書類及び面接(結果については書面にてお知らせいたします。)
問い合せ: 社会教育課文化財保護係(江南文化財センター:熊谷市千代329)
電話 048-536-5062
案内 池上222.jpg 調査地点位置図

熊谷デジタルミュージアム 埋蔵文化財発掘調査作業員募集リンク (http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/news/20200115_ikegamiiseki_r0204.htm
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旅の記憶‐20 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 3― [紀行]

 飯能焼の絵付デザイナー「腰塚小四郎」の得意技とも言える筒書、イッチンは彼の創案でしょうか。筒書は竹筒のような容器から白土を注ぎ出して描き、イッチンは革袋や布袋に入れた白土を絞り出して描くものです。前者の白土の線は平面となり早書きに適しています。後者の線は丸みを帯び細かい模様や図案に適していました。飯能焼そのものは当時の高級陶器であった「京焼(※)」に倣い生産されたもので「地方窯」と呼ばれる窯場が各地で、関東では益子・笠間などが代表であり、飯能焼も大消費地「江戸」を意識して造られたようです。
 さて、白土の線描きはもともと京焼の技法に見られるものです。飯能焼も他の地方窯と同じく高級陶器とされていた京焼の製品に近づけようとしたことが窺われます。小四郎は青年期に京焼の技法を学んでいたと考えてよいようです。小四郎は農民身分ですが、世襲の壁の高い職工となるには本人の意思と共に仲介者や援助者との関わり合いか気になるところです。江戸時代後期は各地で様々な産業の創業が試みられています。小四郎ものそのような気運の中、新時代を開拓しようとした一人なのでしょう。
 ちなみに白土の描線を用いた京焼系統の地方窯は、飯能焼のほかに益子焼(栃木県)、丹波焼(兵庫県)、唐津焼(佐賀県)などが知られています。さらに、現在は飯能焼を引き継ぐ新たな窯場が飯能市域に開かれています。
旅の記憶20-pl1s.jpg 旅の記憶20-pl2s.jpg
写真 イッチン描の「鶴首形徳利」飯能焼原窯跡出土品 
   飯能市教育委員会1999『飯能の遺跡(27)』より転載
 
(※)京焼 野々村仁清や尾形光琳・乾山等がデザイン・製作した陶器
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