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北島式土器壺2 [弥生時代]

前中西遺跡の出土土器の紹介。今回2回目です。第11調査区の、方形周溝墓と思われる溝跡より出土しました。前回紹介した壺形土器よりも一回り小型で、器高18.5cm、口径7.4cm、底径6.0cmを測ります。
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文様は、頸部と胴部上部に、縄文を充填した上向きの鋸歯文を施文し、下部の段部に刺突列を施文しています。口縁部と胴部下半に帯縄文を施文し、胴部下半には2本単位の波状沈線が施文されています。
胴部に段があること、上向きの鋸歯文が施文されていることから、前回紹介した壺より1段階古い、弥生時代中期後葉北島式土器に比定されるものと思われます。


北島式土器壺 [弥生時代]

昨年発掘調査を実施した前中西遺跡の整理調査を進めていますが、その中から、実測・途トレース作業を行なった弥生時代中期後葉の北島式土器を紹介します。
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第10調査区の溝跡から出土した壺で、器高58cm、口径21cm、底径16cmを測ります。文様は、口縁部に1条、頸部から胴部にかけてヘラ描波状文で区画された帯縄文を4条施文しています。底部は、木葉痕が残り、焼成後穿孔が行われています。
胴上部に明確な段が無いこと、器面の無文化が進んでいることから、北島式土器に後続する段階に比定されるものと思われます。

細型管玉の石材 [弥生時代]

前中西遺跡から出土した、赤褐色を呈する細型管玉。161点中53点がこの石材です。
kudatamaaka.jpg
この石は、新潟県佐渡で主に産出されています。
↓は、新潟県佐渡市の赤玉集落心経川橋付近で採取されたものです。
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さて、この赤い色の石の名称ですが、考古学的には今まで多くの発掘調査報告書で「鉄石英(Ferrugios quartz)」と同定されていました。しかし、岩石学的には「鉄石英」と呼ばれる石は別に存在しています。では、この石は、岩石学的には何と呼ぶべきものかというと、ちょっとややこしいです。。
この石の構成鉱物は、「玉髄(Chal cedony)」で、酸化鉄の粒子が不規則に含まれています。「玉髄」とは、石英の微小結晶が網目状に集まったもので、半透明の乳白色を呈しています。「玉髄」の中でも、赤・褐・褐黄・緑・黒色を呈するものを「碧玉(Jasper)」と言います。この「碧玉」の中で、赤色を呈するものがこの石であり、岩石学的には「赤色碧玉」「鉄玉髄」と呼ぶべきものとのことです(参照:岩石学から見た玉髄・碧玉/柴田 徹/『シンポジウム 冨山の石材と玉髄・碧玉 予稿集』/2013)。あるいは、佐渡の赤玉石という名称があることから、「赤玉石」でも良いのかと思います。つまり、玉髄>碧玉>赤玉石ということのようです。

細型管玉 [弥生時代]

昨年調査を行なった、前中西遺跡の整理調査を進めています。
弥生時代の礫床木棺墓4基が検出され、その中の2基から管玉161点が出土しています。
管玉は、長さ5mm~20mm程の大きさで、カメラで写真を撮影するにはちょっと小さいので、スキャナーで読み取り、Illustrator上で並べてみました。
rekishoubo1.jpg
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青緑色の管玉は緑色凝灰岩で、赤褐色の管玉は赤玉石です。
第1号礫床木棺墓からは、緑色凝灰岩製32点、赤玉石製12点、第3号礫床木棺墓からは、緑色凝灰岩製76点、赤玉石製41点が出土しています。↓は、101点の管玉が出土した長野県中野市柳沢遺跡第1号礫床木棺墓との石質構成比グラフです。赤玉石の構成比が高いことが、前中西遺跡の特徴です。
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管玉石材分析 [弥生時代]

昨年、発掘調査を実施した、前中西遺跡の礫床木棺墓出土の管玉の石材分析を、公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団にて行いました。
管玉は、合計161点出土していますが、色調で分類される3種類(オリーブ緑色・灰緑色・赤色)について、X線回折装置にて岩石に含まれている鉱物分析を行ないました。
IMGP8515.jpg
↓は、X線回折装置です。
IMGP8507.jpg
回折の結果、オリーブ緑色と灰緑色の管玉は緑色凝灰岩、赤色の管玉は玉髄(碧玉:いわゆる赤玉石・鉄石英)でした。
オリーブ緑色の緑色凝灰岩の、回折図が↓です。最大ピークが水晶(quartz)を示し主成分となりますが、他の成分に由来するピークが複数認められることから、緑色凝灰岩と判断されました。
オリーブ緑色と灰緑色の管玉は、色調は異なりますが、水晶以外の成分が類似しており同一の産地の可能性が高いとのことです。
keikouXsen.jpg

細型管玉 [弥生時代]

現在調査中の前中西遺跡第3号礫床木棺墓(弥生時代)から出土した管玉です。
↓は、長さ16mm径2㎜程の大きさで、材質は鉄石英(碧玉)と思われます。
kudatamaaka.jpg
↓は、長さ15mm、径2㎜程の大きさで、材質は緑色凝灰岩と思われます。
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小さいものなので、1cmまで接写のできるデジタルカメラで撮影してみましたが中々うまく撮れないため、Scannerで1200dpiの解像度にて読み込んでみました。
第1号礫床木棺墓からは、43点中10点が鉄石英製、33点が緑色凝灰岩製となっており、第3号礫床木棺墓からは、117点中40点が鉄石英製、77点が緑色凝灰岩製となっています。
これらの管玉は、細型管玉と呼ばれ、弥生時代中期に佐渡において製作されたもので、佐渡における該期の遺跡は、全て玉作遺跡とされるほどの大量生産地です。径1㎜に満たない穴の穿孔は、輝石安山岩製の石針が使用されたことが、新穂村平田遺跡等の発掘調査で確認されています。

有孔磨製石鏃 [弥生時代]

昨年12月に発掘調査を実施し、現在水洗作業を進めている前中西遺跡。
調査時点では気づかなかったのですが、第2号住居跡より、有孔磨製石鏃が1点出土していました。
形状は二等辺三角形で平基。先端部を欠き、現存長2.4cm、最大幅2.1cmを測り、石質は粘板岩と思われます。中央に径2mm程の穴を、一方向より穿孔しています。
img172.jpg(scanner:画像取込)
有孔磨製石鏃は、銅鏃を模倣したものと推測されており、弥生時代中期から古墳時代にかけて出土します。遺構に伴って出土することが少なく、今回は、弥生時代中期後半の住居跡よりの出土となっており、時期の特定ができます。熊谷市内では、最近資料が増加しており、同じ前中西遺跡の住居跡より3点、諏訪木遺跡で旧河川から15点、元境内遺跡の包含層から1点の有孔磨製石鏃が出土しています。

ガラス小玉 [弥生時代]

現在発掘調査を進めている箱田氏館跡の、方形周溝墓の周溝部埋葬施設から1点のガラス小玉が、副葬品として出土しています。
径3mm程の大きさで、やや黄緑かかった青色をしています。

ガラス小玉の製作法は、1.管切り法:細長いガラス管を作り短く切断する方法。ガラスの引き延ばしに際しガラス内の気泡が紐孔と平行に縦に並ぶ。2.巻き付け法:程よく溶解したガラスを棒状の金属を回転させながら巻き取るように形作る方法。ガラス内の気泡は、紐孔と直行するように並ぶ。3.鋳造法:粘土板や板状の砂岩に、径3~4mmの半球状の窪みを多数配置し、窪みの中央に細かな穴を穿ち、針金状ものを立て、窪みに溶かしたガラスを流し込む方法の3種類になります。

今回出土したガラス小玉の接写拡大した写真が↓になります。
このガラス小玉の場合は、透明度が少し悪いのですが、ガラスの中の気泡が、不規則になっていること、ガラスの表面に夾雑物が挟まったような痕跡が認められることから、3の鋳造法によってつくられたものと考えらえます。
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報告書「前中西Ⅵ」 [弥生時代]

「前中西遺跡Ⅵ」の報告書が刊行となりました。

市内上之区画整理事業に伴い、平成19年12月1日より平成20年3月14日まで発掘調査を行ったもので、今回が6次の報告書となります。
主な検出遺構は、弥生時代中期住居跡1軒、弥生時代後期住居跡3軒・溝跡3条、弥生時代中期末~後期初頭の方形周溝墓1基、古墳時代前期方形周溝墓3基、古墳時代後期住居跡6軒です。
注目される遺物として、弥生時代中期後半の溝より出土した2点の土偶(下写真右)があります。弥生時代の土偶で中期後半に属する本例は、国内的にみても最終段階に属するものと思われます。
PDF版を、近々『熊谷市の文化財』「PDF文庫」に公開する予定です。

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