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平成30年度第1回熊谷市文化財保護審議会 [その他]

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 5月29日、熊谷市立江南文化財センター講座室にて、平成30年度第1回熊谷市文化財保護審議会が開催されました。本年4月から2年間の任期となり、再任委員(調査委員)を含めた新体制として委員委嘱が行われ、菅谷浩之会長が再任されたほか、飯塚好副会長が委員より選出されました。また古文書・中世文学を専門とする黛千羽鶴委員が新任委員として委嘱されました。会議では平成29年度の事業報告並びに平成30年度の事業計画、そして指定文化財調査に向けた諮問について協議を行いました。新年度における指定文化財の保護及び調査、文化財保護行政の円滑な推進に向けて審議会からのご教示とご協力をお願いしました。



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熊谷市指定文化財 指定書交付式 [建造物]


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赤城久伊豆神社の篠田宣久宮司(右)

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常光院の小久保彰田住職(右)

 熊谷市指定文化財の指定書交付式が熊谷市教育員会教育長室において執り行われました。野原晃教育長から新たに文化財指定された「赤城久伊豆神社本殿」と「常光院本堂」の文化財指定書が所有者に交付されました(3月30日指定)。所有者からは文化財建造物の保護に向けての意気込みなどが語られました。

 また、赤城久伊豆神社本殿は6月2日(土)10時~12時、常光院本堂は6月9日(土)10時~15時に一般公開を行います。ともに冒頭で調査報告会を開催します。どうぞお越しください。(申込不要、入場無料、雨天決行)




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文殊寺での歴史講座 [普及事業]

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5月25日、熊谷市野原の文殊寺において熊谷市中央公民館主催の歴史講座「古寺を学ぶ」が開催され、江南文化財センターの新井端主任が文殊寺の歴史について説明しました。文殊寺は、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざにあるように、知恵をつかさどる文殊菩薩を本尊とする寺院です。京都・切戸文殊、山形・亀岡文殊とともに「日本三体文殊」と知られ、学業成就の祈願者が多く訪れることで有名です。毎年2月25日には 「文殊寺の大縁日」が開催されています。講座を担当した新井主任は『文殊寺』(さきたま文庫)を刊行しています。以下のURLをご参照ください。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E6%AE%8A%E5%AF%BA-%E3%81%95%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%96%B0%E4%BA%95-%E7%AB%AF/dp/4878912693/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1527552818&sr=8-3&keywords=%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%AB%AF


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太田市立大隅俊平美術館「夏の刀剣展示」 [普及事業]


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大隅俊平美術館外観


太田市立大隅俊平美術館では、夏の刀剣展示が開催されます。

大隅俊平(本名:貞夫ただお)刀匠は、昭和7年太田市に生まれ、昭和27年に長野県坂城町の宮入昭平刀匠(昭和38年に人間国宝となる・晩年、行平と改名)に師事し、作刀技術を学びました。昭和33年太田市に戻って独立し、その後「新作名刀展」において最高位の正宗賞を3度受賞、昭和63年には太田市名誉市民に推挙され、平成9年には、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されるなど、作刀一筋の道を歩みました。作風は「直刃(すぐは)の大隅」と賞賛され、平成21年に逝去するまで、直刃一筋に邁進しました。大隅刀匠が目指した「直刃(すぐは)」にみる地鉄の美しさをご鑑賞ください。また、展示期間中には花結び講座や七夕飾り、長陽の節句などの行事も開催されます。

詳細はこちらをご覧ください。
http://www.oosumi-museum.jp/index.html

会期 平成30年6月2日~9月24日

住所: 太田市立大隅俊平美術館(太田市由良町3051 )

交通・アクセス
北関東自動車道太田藪塚ICから20分・太田桐生ICから20分/東武伊勢崎線細谷駅から徒歩15分・太田駅からタクシー10分

TEL
0276-20-6855

営業時間:09:30~17:00
※入館は16:30まで

店休日:月曜日
※祝日の場合は翌日

入館料:300円(団体240円)
中学生以下は無料

駐車場:あり



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熊谷うちわ祭研究会 [民俗]


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5月23日、熊谷商工会館大ホールにて、平成30年熊谷うちわ祭の祭礼運営について各町と協議するうちわ祭研究会が開催されました。各町区の総代や鳶組合など関係者が出席し、本年年番町の銀座区、田代充雄大総代を中心に、山車屋台の巡行や神輿渡御の内容について、安全無事な祭礼となるよう各町区との意見の申し合わせが行われました。本年も7月20日、21日、22日の開催に向けて各町区の準備が本格的に始まります。


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足利にて足利氏ゆかりの寺社巡り「寺社カード」配布 [普及事業]


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足利氏ゆかりの寺社巡り「寺社カード」:樺崎八幡宮本殿

 足利氏ゆかりの地として知られる栃木県足利市で、足利氏ゆかりの寺社巡り「寺社カード」を配布しています。

「本物の出会い栃木」デスティネーションキャンペーン特別企画として行われた「足利氏ゆかりの文化財特別公開~足利氏、その歩みを知る旅へ~」を開催を記念して作成された特製「寺社カード」が数量限定で追加配布されています。スマートフォンアプリの足利市のガイドナビゲーション「足利観光ナビ」を利用し、文化財探訪を楽しみながら寺社カードを入手することができます。入手方法については下記をご参照され、詳細は足利市観光協会へお問合せください。

1 カード配布方法
 ①「足利観光ナビ」アプリをダウンロードして下さい。
  (アプリについての詳細やダウンロードは次のURLを参照してください。)
https://www.ashikaga-kankou.jp/topics/detail/id=870

 ②特別公開を実施した9か所の寺社を回り、各寺社等に設置したビーコンから発信された「スタンプ」を9個集めて下さい。
 ③9個集めた方のみ、太平記館でスタッフに画面を提示すると9枚セットの寺社カードを差し上げます。
  (引き換え場所:太平記館(足利市伊勢町3-6-4))
 
2 開催日時
  平成30年5月18日(土)~6月3日(日)まで
  (カードセットが無くなり次第終了)

3 ビーコン設置箇所

1 樺崎八幡宮・史跡樺崎寺跡 樺崎町1723
2 光得寺 菅田町892
3 吉祥寺 江川町245
4 法楽寺 本城3-2067
5 法玄寺 巴町2545
6 鑁阿寺 家富町2220
7 善徳寺 大町1-2 (太平記館駐車場)
8 福厳寺 緑町1-3270
9 下野國一社八幡宮 八幡町387-4

問合せ先
一般社団法人足利市観光協会 TEL 0284-43-3000


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講座「熊谷の古寺を学ぶ」


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熊谷市立中央公民館での歴史講座として「熊谷の古寺を学ぶ―寺院から捉える熊谷の郷土と信仰の歴史―」を開催し、約60名が受講されました。熊谷にある寺の概況や歴史について宗派ごとに紹介し、その中で主要寺院についての概要を説明しました。次回は文珠寺での現地見学会が行われます。





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出土瓦に残る文字1「郡名瓦―その1」 [奈良平安時代]

 寺内廃寺出土の軒丸瓦は「素弁八葉蓮華文」で、ときがわ町「亀の原瓦窯跡」(県指定史跡)で生産され、武蔵国分寺七重塔に使用されていることがわかっています。
写真1 亀の原瓦窯跡から出土した軒丸瓦
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 現在。江南文化財センターでは「冑山 根岸家」コレクションによる「武蔵国分寺の郡名瓦」ミニ展を開催しています。この展示の中には那珂郡を示す「中」刻印瓦と豊島郡を示す「豊」刻印瓦を展示していますが、この刻印瓦と同印の刻印瓦が寺内廃寺からも出土しています。また、ヘラ書文字では「大里郡」が確認されています。他にもヘラ書文字の瓦が多数確認されており、「大」「山」「父」「御」「中」などは郡郷名の一部と想定されます。
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 本来、武蔵国分寺への献納が予定されていた瓦が寺内廃寺へ回された背景には、武蔵国・郡の政治組織に付属した寺格を有したか、政治的に卓越した人物の存在を想定しています。
その人物は当時の男衾郡大領(郡司)であった「壬生吉志氏」であると考えられています。
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出土瓦に残る模様4「指紋―その3」 [奈良平安時代]

 生産工程上、指紋の付着時期は成形台からの移動時で、乾燥工程や窯詰工程での確認時に最終工程として、削り落とすなどの調整を省いていると考えられます。指紋が残る瓦の状態は、生産現場での時間的余裕のない状況を反映しているのでしょうか。
 別案として、指紋瓦の遺存率が国分寺では低く、寺内廃寺で高いということになると、出荷瓦の選別を経ていることになり、指紋瓦は余剰瓦として一時保管され、他所へ供給されたとも想定されます。ただ、現在の研究上の理解では同笵・同種瓦の移動は、経済上の理解ではなく、政治上の理解で解釈されており、寺内廃寺の場合も武蔵国分寺と同笵・同種瓦が多数出土するという背景には武蔵国や男衾郡の政治組織に近い、郡の寺(官の寺)、定額寺(官の寺に準じた寺格を持つ寺)などの時期があったと考えています。
 写真 指紋瓦のいろいろ 5点
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出土瓦に残る模様3「指紋―その2」 [奈良平安時代]

 前回、寺内廃寺出土瓦に残る「指紋」を紹介した中で、遺存数は少ないかなとしましたが、続々と登場している状況になっています。途中経過で6点見つけました。
 窯跡や寺院跡の発掘報告書では瓦の指紋まで観察報告のある例は少ないようなので、実際に指紋が残る例はもっと多数になるのではないかと考えます。遺跡間での指紋照合の研究が進めば、埴輪研究でなされたような工人の窯場間の移動など確認されることも可能になるのでしょう。
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 また、最近の論文では東大寺付属の「正倉院」に使用された瓦に掌紋や指文が良好に残っていることが報告されています。正倉院の場合も同時代としては旧手法での製作とされ、旧手法に手慣れた老工人が動員されたのではないかと特別な事情も想定されます。
 岩永省三2016「正倉院正倉の奈良時代瓦をめぐる諸問題」『正倉院紀要』第38号
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