レプリカ・セム法4 [古墳時代]
レプリカ・セム法による弥生時代の種子圧痕を研究している首都大学の方が、前中西遺跡出土土器の圧痕を調査しに江南文化財センターを訪れていますが、再びお願いして、以前紹介した、古墳時代の甕の口縁部にあった籾殻の圧痕と思われ跡を、シリコンで型を取って、走査型電子顕微鏡で撮影してもらいました。
↓がその写真です。
観察の結果、やはり籾殻の圧痕とのことです。圧痕は浅く器面に残されており、成形後の乾燥が進んだ時点での圧痕であり、偶然後口縁部に籾殻が付着したとは考えにくいことから、意識的に籾殻を押し付けたのではないかとのことです。日常、煮炊きに用いる甕ですが、文様にしては1箇所だけなので、別の意図をもって籾殻を押し付けた可能性があります。
↓がその写真です。
観察の結果、やはり籾殻の圧痕とのことです。圧痕は浅く器面に残されており、成形後の乾燥が進んだ時点での圧痕であり、偶然後口縁部に籾殻が付着したとは考えにくいことから、意識的に籾殻を押し付けたのではないかとのことです。日常、煮炊きに用いる甕ですが、文様にしては1箇所だけなので、別の意図をもって籾殻を押し付けた可能性があります。
単脚足金具 [古墳時代]
喰出鐔:はみだしつば:Sword Guard [古墳時代]
籾殻圧痕 [古墳時代]
11月に発掘調査を行なった、前中西遺跡。出土遺物の整理を進めています。
その中に、古墳時代の甕の口縁部に、籾殻の圧痕と推測される痕跡が確認できました。この圧痕は、土器を生成する過程でイネやアワの籾殻が付着し、焼成の際に籾殻自体が消滅して「圧痕」が土器に残ったものです。
↓の赤い矢印の箇所です。
その箇所を接写したものが↓です。下のメモリは定規で、幅6mm程の大きさです。
弥生時代や古墳時代の土器に籾殻の圧痕がたまに観察されることがありますが、その痕跡は縄文土器にも観察されています。
縄文土器における籾殻圧痕は、1931年に熊本県菊池郡のワクド石遺跡で出土した晩期の土器にその存在が知られていました。2005年には、熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期の土器に籾殻の圧痕が確認され、稲の栽培が縄文時代中期にもある程度行なわれていた可能性が指摘されています。
また、中世の「山茶碗」や近世の陶器製品の内面に、高台の畳付の部分に籾殻による圧痕が観察されることがあります。これは、焼成の際、製品を重ね積みするため、製品間や窯床との溶着防止のために籾殻が用いられたものです。
その中に、古墳時代の甕の口縁部に、籾殻の圧痕と推測される痕跡が確認できました。この圧痕は、土器を生成する過程でイネやアワの籾殻が付着し、焼成の際に籾殻自体が消滅して「圧痕」が土器に残ったものです。
↓の赤い矢印の箇所です。
その箇所を接写したものが↓です。下のメモリは定規で、幅6mm程の大きさです。
弥生時代や古墳時代の土器に籾殻の圧痕がたまに観察されることがありますが、その痕跡は縄文土器にも観察されています。
縄文土器における籾殻圧痕は、1931年に熊本県菊池郡のワクド石遺跡で出土した晩期の土器にその存在が知られていました。2005年には、熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期の土器に籾殻の圧痕が確認され、稲の栽培が縄文時代中期にもある程度行なわれていた可能性が指摘されています。
また、中世の「山茶碗」や近世の陶器製品の内面に、高台の畳付の部分に籾殻による圧痕が観察されることがあります。これは、焼成の際、製品を重ね積みするため、製品間や窯床との溶着防止のために籾殻が用いられたものです。
鉄鏃 [古墳時代]
室内整理作業では、本年度刊行予定の、立野古墳第2号墳出土遺物の整理を始めています。
凝灰岩切石積みの石室内から、鉄刀・鉄鏃等が出土しています。
今回は、その中から1点の鉄鏃を紹介します。
(scanner画像)
鉄鏃は、部位の名称が聞き慣れない名称となっているので図示してみました。
鉄鏃の構造は、大きく先端部の鏃身部と柄部に分かれます。柄部は、矢柄に埋め込まれる茎部(なかごぶ)と鏃身部と茎部の間の頸部から構成されます。矢柄が接する箇所を篦被関部(のかつきまちぶ)と言い、棘状の突起が付いています。頸部と接する箇所を鏃身関部(ぞくしんまちぶ)と言います。
鉄鏃を分類する際の統一的な名称は統一されていませんが、写真の鉄鏃を紹介する時は、「長茎棘篦被五角形広根式鉄鏃 (ちょうけいとげのかつきごかっけいひろねしきてつぞく)」 というような難解な表現になります。長頸とは、頸部あるいは箆被部が鏃身の2倍以上の長さをもつものを言い、それ以下のものを短頸と言います。
本鉄鏃は、鉄身部に、獲物に刺さった時に抜け落ちないように腸抉(わたくり)と呼ばれる逆刺部(かえりぶ)が無く平らで、五角形の鏃身部と棘状篦被関部の形状となっており、古墳時代終末期の鉄鏃の特徴を示しています。
凝灰岩切石積みの石室内から、鉄刀・鉄鏃等が出土しています。
今回は、その中から1点の鉄鏃を紹介します。
(scanner画像)
鉄鏃は、部位の名称が聞き慣れない名称となっているので図示してみました。
鉄鏃の構造は、大きく先端部の鏃身部と柄部に分かれます。柄部は、矢柄に埋め込まれる茎部(なかごぶ)と鏃身部と茎部の間の頸部から構成されます。矢柄が接する箇所を篦被関部(のかつきまちぶ)と言い、棘状の突起が付いています。頸部と接する箇所を鏃身関部(ぞくしんまちぶ)と言います。
鉄鏃を分類する際の統一的な名称は統一されていませんが、写真の鉄鏃を紹介する時は、「長茎棘篦被五角形広根式鉄鏃 (ちょうけいとげのかつきごかっけいひろねしきてつぞく)」 というような難解な表現になります。長頸とは、頸部あるいは箆被部が鏃身の2倍以上の長さをもつものを言い、それ以下のものを短頸と言います。
本鉄鏃は、鉄身部に、獲物に刺さった時に抜け落ちないように腸抉(わたくり)と呼ばれる逆刺部(かえりぶ)が無く平らで、五角形の鏃身部と棘状篦被関部の形状となっており、古墳時代終末期の鉄鏃の特徴を示しています。