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旅の記憶‐9 秩父17番札所 定林寺 [紀行]

 市域の旧家には、戦国時代の興亡を伝える家が多くあります。忍城を拠点とした成田氏の家中、松山城を拠点とした上田氏の家中、鉢形城を拠点とした北条氏の家中、さらに甲斐国武田氏に与した武士や刀鍛冶や甲冑師など職工を祖先に持ち定住したと伝える家系をお持ちの方もいるようです。
 秩父札所17番 定林寺は秩父市内に所在する寺堂で、鐘楼には立派な梵鐘が架けられています。梵鐘は日本百観音の本尊仏が浮彫に鋳込まれ、傍らに各寺の名と御詠歌が刻まれています。かつてこの寺は札所1番とされていたことからこの鐘が造られたとされます。鐘の銘文によると、宝暦八年(1758)に鋳造され、製作者である鋳物師は「比企郡上小用村(現鳩山町)」の清水武左衛門清長」とあり、中世以来小用鋳物師として専門工人の家系を引く人であったようです。依頼者である施主は「本国上野州 生国武州大里郡上新田村住 柴田信右衛門 藤原豊忠」と記されています。 柴田氏は甲斐武田家に属したとされ、上新田に所在する諏訪神社本殿建築にもかかわる有力者です。 
 定林寺梵鐘と上新田諏訪神社本殿は埼玉県指定文化財となっています。
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写真1  秩父札所17番  定林寺 巡礼の人々

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写真2 定林寺の梵鐘 施主 柴田氏の刻銘

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ラグビーワールドカップ2019 ロシア対サモア戦を記念した星溪園での行事開催 [普及事業]


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立礼席でのお茶会

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ラグビーボールの形をした練り菓子と抹茶

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参加されたフランス人

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ロシア文学講座


 熊谷ラグビー場でのロシア対サモア戦当日の2019年9月24日、熊谷市名勝「星溪園」で、ロシアの文学を代表する文学者で思想家のフョードル・ドストエフスキー(1821-1881)に着目した講演会と、記念茶会を開催しました。講演会では、小説『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などの概要と、その後のロシア文学に与えた「救済」の思想について解説しました。また会場では、本年生誕100周年を迎えたロシア人画家のボリス・ヤコブレヴィッチ・リアウゾフ(1919-1994)がドストエフスキー作品の登場人物を題材に描いた油彩画を本邦初公開しました。

 お茶会ではラグビーボールを象った練り菓子が出されるなど、ラグビーワールドカップの雰囲気を作り出していました。熊谷でのラグビー観戦に訪れたフランス人もお茶会に参加し、お抹茶とお菓子を堪能されていました。



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「もの」と「ひと」の旅―9 ―足元の鉄― [紀行]

 市域では低地の遺跡を発掘すると、多くの場合水田下の沖積土は茶褐色や灰褐色をした粘質土ですが、斑状にあるいはシミ状に茶褐色や赤茶色の模様が見えることがあります。時には固く締まり、掘り出すと赤さびの塊のようになっています。よく見ると中心に穴があり「ちくわ状」をしている場合もあります。この塊は「タカシ小僧」とよばれるもので、土中の鉄分がヨシ、アシなどの水生植物の根に集積したものです。大きく成長したタカシ小僧は、褐鉄鉱の塊で製鉄の原料となるようです。
 荒川の砂州やローム台地の雨道には砂鉄が黒々と洗い出されている場面を見ることがあります。このように現われた砂鉄を丹念に採取し、「たたら」と呼ぶ溶融施設を作り砂鉄を焚き上げて鉄塊を得たのです。このようなたたら製鉄跡は奈良・平安時代に入ると荒川河畔に立地している箱石遺跡(寄居町末野)、台耕地遺跡(深谷市小前田)に発見されています。先の遺跡から素材の供給を受けたと思われる市域の集落遺跡からも小鍛冶を行った遺構・遺物が見つかっており、北島遺跡(上川上)、飯塚北遺跡(永井太田)、西別府廃寺(西別府)、一本木前遺跡(東別府)、塩西遺跡(塩)、宮下遺跡(千代)、熊野遺跡(野原)、寺内廃寺東院集落跡(柴)では炉跡や羽口、鉄滓、鋳型などが出土しています。
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タカシ小僧 酸化鉄塊   中条地区採取

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タカシ小僧の検出状況 中条古墳群・中条中島遺跡
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「もの」と「ひと」の旅―8 ―鉄器を造り、使う― [紀行]

 熊谷市内で出土した鉄製品の中で最も古い時期の資料は、4世紀中ごろに築造された塩古墳群第25号墳副葬の「鉄剣」になります。この鉄剣は全長約20cm、刃長13.5cmと小型で一方が片耗しているように見えます。利器として日ごろの使用が窺われ、被葬者の愛用品として納められたようです。今後も集落や古墳から武器や農具などの発見も予想されます。
 では製鉄や鉄器製造はどうでしょうか。製鉄が確認されるのは奈良・平安時代からのようで荒川河畔に発見された台耕地遺跡(現深谷市黒田)や箱石遺跡(寄居町末野)は古代の大規模な製鉄遺跡で砂鉄を溶融したタタラ炉が何基もあって、奈良平安時代を通じて製鉄が行われ鉄素材の主要な供給地だったようです。
 鉄器の製造は村の鍛冶屋といった「小鍛冶」遺構の発見が、行人塚遺跡(5紀前半)・本田東台遺跡(6世紀後半)・熊野遺跡(9世紀前半)・宮下遺跡(9世紀後半)、中条中島遺跡(5世紀前半)など大規模な集落跡での発見が多く、古墳時代中期頃から鉄器の製造が確認されます。この時期は、製鉄の他に須恵器の生産も各地で始まるなど、窯業生産や金属生産に関わった人々は先進的な技術を持った渡来人を含む工人たちで、大和の王権から東国への技術・文化の扶植活動を担っていたと考えられています。末野窯跡(寄居町)では古墳時代後期から須恵器の生産が始まります。
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 写真1 行人塚遺跡の羽口に使われた古墳時代中期の高坏の脚部(上部が被熱により融解している)
 なお、行人塚遺跡と同時期と思われる上丹生屋敷山遺跡(群馬県富岡市)では、高坏転用羽口や鉄滓と共に「鉄鋌」が出土しています。同時期の国内出土「鉄鋌」はほとんど朝鮮半島製とされており、実際に素材として東国に移入され使用していることが知られます。
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 写真2 中条中島遺跡の小鍛冶跡、小炉だが炉底は還元され青灰色となり周囲は赤化していた。炉底は3か所以上確認できた。

参考文献
 1988『本田・東台遺』江南町文化財調査報告第8集(熊谷デジタルミュージアム「図書室にPDF掲載)
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ニュージーランド・インバーカーギル市民訪問団が国宝「歓喜院聖天堂」来訪 [建造物]

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9月23日、国宝「歓喜院聖天堂」で、ニュージーランド・インバーカーギル市民訪問団をお迎えしました。彫刻の見学のほか、御祈祷も行われました。ラグビーワールドカップ2019に関連しての来訪で、日本テレビのZIP!取材陣も同行していました。その後、市民訪問団は市長表敬訪問や歓迎会に参加したほか、翌日以降、ラグビー観戦や市内外での日本文化を体験するなど、楽しく時間を過ごされています。



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ラグビーワールドカップ2019 ロシア VS サモア おもてなしエリアにて [普及事業]

 本日から熊谷市でもラグビーワールドカップ2019 ロシア VS サモア戦が「熊谷ラグビー場」で開催されます。開催に合わせて会場である熊谷スポーツ文化公園の「くまがやドーム」では、世界各国から来る皆さんをおもてなしするべく、県・市町村・開催国PRブースなどやフードエリアを設けます。
 我々江南文化財センターは、熊谷市のブースで文化財PRを実施します。会場周辺は中条古墳群(大塚古墳、女塚古墳、鎧塚古墳)、常光院、龍淵寺、愛染堂(愛染明王)など多様な文化財があります。 
 また、会場である「熊谷スポーツ文化公園」は北島遺跡(縄文~近世)を包蔵しており、30年以上にわたって発掘調査が実施されてきました。
 こうした貴重な文化財の存在を是非とも世界の皆さんへPRすべく、映像、パネル展示などでおもてなしする予定です。
 観戦する皆様、ぜひお立ち寄りいただき、熊谷の文化財を知っていただければ幸いです!



https://www.kumagaya-rugby.jp/others_info/omotenashi/
(熊谷へラグビーを見に行こう内おもてなしエリアURL)

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「もの」と「ひと」の旅―7 ―鉄のやってきたころ― [紀行]

 考古学的には鉄は植物製品と同様に残りにくいものです。通例、土中にある鉄製品は腐食し分解しますが、条件が良くても銹の塊となって発見されることか常で、元の姿を知ることが難しい場合もあります。当センターや他の博物館で展示される鉄製品は丹念なクリーニングや欠損部分を補修するなどして保存処理を行った資料です。大刀・鉾・鏃から鎌・鍬先・釘などの武器から工具まで、市域の集落遺跡や古墳から数多く出土しています。
 では、これらの鉄器はどこで作られたのでしょう、あるいは加工されたのでしょうか。鉄の原料は砂鉄か鉄鋼石などですが、素材となる「銑鉄」を作るには大規模な「たたら」の設備が必要ですが、今のところそのような古墳時代の遺跡発見例は知られていません。しかし、素材から製品を作る加工所として「小鍛冶跡」の遺構は市内でも見つかっています。須賀広本田・東台遺跡は「おどる埴輪」の出土した「野原古墳」と野原古墳群の母体となる6世紀中ごろの集落で、住居跡から炉跡や送風管に使った「羽口」、溶けた鉄の塊(鉄滓)が発掘されています。成沢の行人塚遺跡や上中条の中条中島遺跡の鍛冶遺構は5世紀前半の時期で、高坏を転用した羽口や石槌・金床石・鉄滓・炉跡が出土しています。行人塚遺跡の鉄滓を分析したところ中国産の鉄であることが推定されています。同時期の古墳からは鉄挺(てってい)とよばれる延板の鉄素材が副葬されていますが、原料ではなく素材として大陸からの交易品なとどしてもたらされたものです。当時は近畿地方に大仙古墳(仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(応神天皇陵)が出現する時期とされ、政治・社会構造の進展とともに人・物資の移動など地域間交流が活発であったと考えられています。
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写真1 椀型をした鉄滓  寺内遺跡出土

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写真2 半裁した鉄滓(写真1)の断面  磁石が付くほどの鉄分が残っていた。

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「もの」と「ひと」の旅―6 ―銅器をかたどる― [紀行]

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写真1 前中西遺跡の石戈の写真

 前回に引き続き、金・銀と来たら銅、次は鉄です。では銅はどうなっているのでしょう。
考古資料としての銅器は弥生時代以降の遺跡から発見されることが一般的ですが、それは東海・中部地方以西が主で「銅鏡」「銅鐸」「銅剣」「銅矛」「銅鏃」などの器種が知られていますが、埼玉をはじめ関東では未だ見つかっていない状況ですが、そろそろ見つかるような気もします。その候補地の一つが市域の前中西遺跡です。長らく市街化整備による街路や住宅の建物敷地の発掘調査を行ってきましたが、弥生時代中期以降の遺構遺物が発見されていて、銅製武器になぞらえた石製の「戈」が完形品1点 破片1点が出土しました。「石戈」と呼びますが、銅戈を忠実に写したもので、長野県佐久市~群馬県安中市域で産出する黒色粘板岩を材料としています。前中西遺跡は信州地方との交流が深く今までにも土器や管玉製品などの類似性が指摘されています。
 信州地方には柳沢遺跡(中野市)から「銅矛・銅鐸」などの銅器が出土していますから、実物を見て石戈を作った人々がこれを携え市域にやってきたことも想定されます。当時国内での銅採掘とその利用はまだないので、素材は大陸からもたらされた貴重品です。大陸との交易が活発になる弥生時代後期には、銅鏡出土遺跡の発見が増えることから、東日本にも銅製品が到達するようです。
 なお、前中西遺跡の石戈は、「九州国立博物館」の特別展示から帰ってきております。
 また最近では独立棟持柱を持つ大形建物発見され、畿内的な祭祀場が設けられていたことも措定され、当地域の中心的な集落であった可能性がより強くなっています。

参考文献
  関東弥生文化研究会埼玉弥生土器観会 編 20014『熊谷市前中西遺跡を語る』考古学リーダー23 六一書房
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熊谷商工会議所女性会 講演会「金子兜太の生涯と定住漂泊の思想」と渋沢栄一の肖像画 [普及事業]


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2019年9月11日、熊谷商工会議所女性会の皆様を前に「金子兜太の生涯と定住漂泊の思想」と題した講演会の講師を担当しました。会場となった熊谷商工会議所3階の会議室の中央には渋沢栄一の肖像画が展示されています。最近のトピックスとして、2021年のNHKの大河ドラマが、深谷出身で「近代日本経済の父」と呼ばれ、新しい一万円札の肖像にも選ばれた実業家、渋沢栄一の生涯を描く「青天を衝け」に決定しました。講演会では、俳人の金子兜太氏についてお話をしましたが、その様子を撮影した画像を見ると渋沢栄一の存在感が強く、不思議な雰囲気が醸し出されています。大河の放送に向けて、近隣の熊谷にも渋沢栄一の足跡は残されていることから、何らかの関わりを持つことができるのではないかと思い巡らしています。











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アライグマ捕獲従事者研修会 [記念物]


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9月5日、江南行政センターでアライグマ捕獲従事者研修会が開催されました。この研修会により、アライグマの生態や捕獲方法などを学びました。従事者証の交付を経て捕獲のための箱罠を設置できるようになります。アライグマは農作物とともに文化財に対する被害が報告されており、巣作りなどにより社寺建築や記念物などにも毀損被害を与えることが分かっています。研修会の様子は動画で収録しましたので、後程公開する予定です。







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