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「もの」と「ひと」の旅―7 ―鉄のやってきたころ― [紀行]

 考古学的には鉄は植物製品と同様に残りにくいものです。通例、土中にある鉄製品は腐食し分解しますが、条件が良くても銹の塊となって発見されることか常で、元の姿を知ることが難しい場合もあります。当センターや他の博物館で展示される鉄製品は丹念なクリーニングや欠損部分を補修するなどして保存処理を行った資料です。大刀・鉾・鏃から鎌・鍬先・釘などの武器から工具まで、市域の集落遺跡や古墳から数多く出土しています。
 では、これらの鉄器はどこで作られたのでしょう、あるいは加工されたのでしょうか。鉄の原料は砂鉄か鉄鋼石などですが、素材となる「銑鉄」を作るには大規模な「たたら」の設備が必要ですが、今のところそのような古墳時代の遺跡発見例は知られていません。しかし、素材から製品を作る加工所として「小鍛冶跡」の遺構は市内でも見つかっています。須賀広本田・東台遺跡は「おどる埴輪」の出土した「野原古墳」と野原古墳群の母体となる6世紀中ごろの集落で、住居跡から炉跡や送風管に使った「羽口」、溶けた鉄の塊(鉄滓)が発掘されています。成沢の行人塚遺跡や上中条の中条中島遺跡の鍛冶遺構は5世紀前半の時期で、高坏を転用した羽口や石槌・金床石・鉄滓・炉跡が出土しています。行人塚遺跡の鉄滓を分析したところ中国産の鉄であることが推定されています。同時期の古墳からは鉄挺(てってい)とよばれる延板の鉄素材が副葬されていますが、原料ではなく素材として大陸からの交易品なとどしてもたらされたものです。当時は近畿地方に大仙古墳(仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(応神天皇陵)が出現する時期とされ、政治・社会構造の進展とともに人・物資の移動など地域間交流が活発であったと考えられています。
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写真1 椀型をした鉄滓  寺内遺跡出土

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写真2 半裁した鉄滓(写真1)の断面  磁石が付くほどの鉄分が残っていた。

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