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「もの」と「ひと」の旅―6 ―銅器をかたどる― [紀行]

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写真1 前中西遺跡の石戈の写真

 前回に引き続き、金・銀と来たら銅、次は鉄です。では銅はどうなっているのでしょう。
考古資料としての銅器は弥生時代以降の遺跡から発見されることが一般的ですが、それは東海・中部地方以西が主で「銅鏡」「銅鐸」「銅剣」「銅矛」「銅鏃」などの器種が知られていますが、埼玉をはじめ関東では未だ見つかっていない状況ですが、そろそろ見つかるような気もします。その候補地の一つが市域の前中西遺跡です。長らく市街化整備による街路や住宅の建物敷地の発掘調査を行ってきましたが、弥生時代中期以降の遺構遺物が発見されていて、銅製武器になぞらえた石製の「戈」が完形品1点 破片1点が出土しました。「石戈」と呼びますが、銅戈を忠実に写したもので、長野県佐久市~群馬県安中市域で産出する黒色粘板岩を材料としています。前中西遺跡は信州地方との交流が深く今までにも土器や管玉製品などの類似性が指摘されています。
 信州地方には柳沢遺跡(中野市)から「銅矛・銅鐸」などの銅器が出土していますから、実物を見て石戈を作った人々がこれを携え市域にやってきたことも想定されます。当時国内での銅採掘とその利用はまだないので、素材は大陸からもたらされた貴重品です。大陸との交易が活発になる弥生時代後期には、銅鏡出土遺跡の発見が増えることから、東日本にも銅製品が到達するようです。
 なお、前中西遺跡の石戈は、「九州国立博物館」の特別展示から帰ってきております。
 また最近では独立棟持柱を持つ大形建物発見され、畿内的な祭祀場が設けられていたことも措定され、当地域の中心的な集落であった可能性がより強くなっています。

参考文献
  関東弥生文化研究会埼玉弥生土器観会 編 20014『熊谷市前中西遺跡を語る』考古学リーダー23 六一書房
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