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前中西遺跡出土瓶5 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介5回目。今回は、「味の素」の30g食卓調味料ビンです。
口径2.0cm、底径3.8cm、高さ7.3cmを測ります。
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胴部下半にうっすらと「AJINOMOTO」「味の素株式会社」との印字文字が確認できます。
このビンは、「ふりかけ式卓上調味料ビン」と言い、赤い11穴のあけられた中蓋が付けられていました。昭和26年に発売され、昭和40年代まで使われていました。
このビンの登場により、従来、容器からスプーンで取り出していたものを、ビンから直接振りかけることが可能となり、中身が無くなったら缶や袋からビンに詰め替えられるようになりました。中蓋の穴の直径は2.7mmで、3振りで0.15~0.2g出るように作られました。これは、すまし汁1杯分の量を目安にしており、このため調理場でも食卓でも簡単に使用できるようになり、「味の素」の使用範囲を拡大し、使用習慣を一変させる働きをしました。
2005年5月からはパンダの顔が描かれた「アジパンダ」瓶が発売されています。

前中西遺跡出土瓶4 [瓶]

今回は「みや古染」のビンです。
口径2.8cm、底径3.2cm、高さ4.2cmを測ります。
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「みや古染」は、家庭用染料で、色々な用途で使われた人気の染料で、現在でも、桂屋ファイングッズ株式会社で製造・販売されています。
桂屋ファイングッズ株式会社は、明治23年に日本橋で創業され、明治29年に「みや古染」の商標登録をし、家庭染料として全国に販売を開始しています。大正11年には、株式会社桂屋商店 として法人化し、昭和21年には、株式会社桂屋 に社名変更し、昭和46年には、現在の桂屋ファイングッズ株式会社 に社名変更しています。
↓は、写真では判りにくいので、エンボス部を色鉛筆で写し取ってみました。
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横書きでエンボスされていますが、縦書きのものが古いようです。

前中西遺跡出土瓶3 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介3回目。今回は「ヤマト糊」のビンです。
口径4.6cm、高さ3.8cm、底形4.8cmを測ります。
ヤマト糊は、ヤマト株式会社が製造・販売するデンプン系の接着剤です。
ヤマト糊というと、塩化ビニール製の青や緑色のチューブやボトルに入った物を思い浮かべますが、発売当初はビンに入れられて販売されていました。
明治32年(1899)、 木内弥吉が東京都墨田区において「ヤマト糊本舗」を開業し、保存できるでんぷん糊「ヤマト糊」の製造販売を開始しました。それまでのでんぷん糊は、自家製で保存が効かなかったことから、日本初の「保存できるでんぷん糊」として、広く受け入れられました。
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底面には「ヤマト糊」とエンボスされています。
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昭和33年(1958 )ヤマト糊をガラス容器から塩化ビニール製容器へと替えていること、エンボス表記が右⇒左となっていることから、このビンは戦前のものと推測されます。
ちなみに、現在、デンプンにはタピオカを使用しています。

前中西遺跡出土瓶2 [瓶]

前中西遺跡の近代の廃棄土坑より出土した、ビンの紹介2回目。今回も「大下回春堂 フマキラー」300ccビンです。
口径2.5cm、底径6.0cm、高さ22.8cmを測ります。
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前回紹介したフマキラー瓶は、エンボスで「フマキラー」と記載されていましたが、今回の瓶は、印字されています。表側面に「害虫殺滅液 強力」「人畜無害 フマキラー 登録商標」、裏面下部に「有効成分 ピレトリン 株式会社大下回春堂 東京 大阪 広島 NET300cc」と印字されています。
↓は、印字されているフマキラーのロゴマークです。地球の上に象が描かれています。
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文字が左⇒右に印字されていること、株式会社大下回春堂は昭和37年までであることから、戦後から昭和37年までの間に製造されたものと推測されます。

前中西遺跡出土瓶1 [瓶]

現在発掘調査を進めている、上之区画整理地内の前中西遺跡の昭和前半の廃棄土坑より出土した、「大下回春堂 フマキラー」300cc瓶を紹介します。
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瓶は、口径2.3cm、底径6.0cm、器高23.3cmを測ります。
肩の部分に「発売本舗 大下回春堂」「専売特許 フマキラー」、底部には「12」とエンボスされています。家庭用殺虫剤「フマキラー」の原液が入っていた瓶と思われ、当時は、この原液を、手動式の噴霧器に入れて使用しました。
takuhon.jpg肩部のエンボス文字
大下回春堂は、明治32年(1890)、創業者の大下大蔵(1894-1979)が広島にて薬種商として創業したもので、大正9年(1920)に殺虫剤「強力フマキラー液」を開発し、昭和37年には社名を株式会社フマキラーに変更し、昭和38年(1963)には、世界初の電気式蚊取『ベープ』を発明・開発しています。
この瓶は、エンボスの文字が右⇒左となっていますので、戦前に造られたものと推測されます。

ちなみに、社名と商標名となっている「フマキラー」はfly:蠅の「フ」と、mosquito:蚊の「モ」にkillerを付けたもので、語感の良さから「フマキラー」としています。

諏訪木遺跡出土瓶 [瓶]

先週発掘調査の終了した、諏訪木遺跡出土「レートクリーム」瓶を紹介をします。
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同種の瓶を籠原裏遺跡出土瓶8で紹介していますが、今回紹介するものは、やや小型で、底径4.2cm、器高3.8cmを測ります。側面には、神殿の柱のようなもの2本と中央に丸い円が4単位エンボスされています。前回紹介したものは、2単位でしたので、型式が異なります。
「レートクリーム」は、株式会社平尾賛平商店が発売した化粧品です。本社は、東京の日本橋に所在し、明治11年(1878)に平尾賛平氏が開業、昭和29年(1954)に廃業となっています。戦前は、「西のクラブ」(神戸:中山太陽堂)、「東のレート」(日本橋:平尾賛平商店)といわれたほど、有名な化粧品メーカーでした。
また昨日、本ブログの総閲覧者数が380,000人を超えました。今後ともよろしくお願いします。

石原古墳群出土瓶 [瓶]

先週発掘調査を終了した、石原地内の石原古墳群出土の瓶を紹介します。
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口唇部の一部を欠損していますが、長さ6.4cm、最大幅2.4cm、厚み0.8cmを測ります。やや緑かかった透明のガラス製で、ガラス中には細かい気泡が認められます。胴部の片側面は楕円形にくぼんでおり、商品名のシールが貼られていたものと思われます。
この瓶の用途についての手掛かりはありませんが、昭和期前半の目薬等の薬瓶であったことが推測されます。

元境内遺跡出土瓶3 [瓶]

元境内遺跡の出土瓶の紹介3回目。今回はホルモードの化粧瓶です。
口径0.5cm、底幅5.9cm、高5.9cmを測り、底部に「HORMODE」とエンボスされています。
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この瓶は、昭和41年に設立された、株式会社ホルモード オリーブ研究所から発売された美容液「オリーブ ゴールド」の瓶と思われます。潤い有効成分エストラジオール(Estradiol:ステロイドホルモンの一種)を配合したもので、ハリツヤのある素肌に整えるとのことです。
↓は実測図です。
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ロゴマーク [瓶]

江南文化財センターのテーマ展「遺跡出土ビン展」にあわせて、牛乳ビン・ジュースビンに印刷またはエンボスされているロゴマーク・キャラクターを集めてみました。地域的なものから広域流通しているものまであります。
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画像をクリックすると拡大します。個々のマークの説明・由来については、左欄のマイカテゴリー「」から、個々のビンの説明をご覧ください。

諏訪木遺跡出土瓶5 [瓶]

諏訪木遺跡出土瓶の紹介。今回は、化粧水瓶です。
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口径2.2cm、器高12.2cmを測り、胴部は四角形を呈しています。胴部正面に「ホーカー液」、裏面に「堀越」とエンボスされています。
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ホーカー液は、明治42年(1909)創業の東京神田に所在した堀越嘉太郎商店が、大正時代に販売した高等美顔料白味剤(日焼け対策美白コスメ)です。キャッチコピーは、「日傘ひとつで日焦げは防げません」でした。この他、「ホーカー白粉」、「ホーカー美髪液」や、「ホーカースイート」という薬用チューイングキャンデー(キャラメル)も販売していました。
堀越嘉太郎は、販売促進の天才と言われ、新聞や雑誌を利用した広告戦略や、懸賞・観劇・遊覧ツアーなどのキャンペーンを多用する販売戦略により業績を伸ばしました。
観劇や行楽シーズンの鉄道乗車に「ホーカーデー」というのを設け、1瓶20銭の「ホーカー液」を無料配布したり、当時ヒットしていた「カチューシャの唄」の替え歌を、ホーカー液の新聞広告として掲載し、これがCMソングの元祖とされています。
ちなみに、この「ホーカー液」の名前の由来ですが、堀越嘉太郎商店では、当初「へちま化粧水」として販売していましたが、売れ行きが芳しくないことから、堀越の「ホ」と、嘉太郎の「カ」を併せて「ホーカー液」と商品名を変えたとのことです。その結果、当時、舶来品を崇拝する傾向が強かったため、舶来品と思って購入する人が増えたとのことです。

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