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諏訪木遺跡出土瓶4 [瓶]

諏訪木遺跡出土瓶の紹介4回目。今回は、薬瓶です。
口径2.2cm、底部長径3.6cm、器高7.7cmを測ります。
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胴部側面に「K.H.L.」、底部に「1 Y」とエンボスされています。この「K.H.L.」は、ビオフェルミン製薬の旧社名(株式会社神戸衛生実験所:Koube Health Laboratory)を示しているものと思われます。
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ビオフェルミン製薬は、兵庫県神戸市に本社を置く大正6年(1917)創業の製薬メーカーで、昭和24年(1949)に現在の社名に変更されています。創業当初から一貫して、乳酸菌整腸薬「ビオフェルミン」を中心に製造している会社です。「ビオフェルミン」の販売は、武田薬品工業に委託しており、武田グループの販売、製造会社の一社でしたが、2008年3月より大正製薬傘下となっています。
この瓶は、ビオフェルミン製薬株式会社に社名変更したのが1949年であることから、1949年以前に作られたものと推測されます。

諏訪木遺跡出土瓶3 [瓶]

今回は、大沢牛乳株式会社の180ml牛乳瓶です。大沢牛乳株式会社は、埼玉県鴻巣市に所在する飲料メーカーで、この瓶には牛乳またはコーヒー牛乳が入れられていました。この他、フルーツ牛乳・オレンジジュース・りんごジュースを販売しています。
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瓶は、口径4.3cm、底径5.2cm、器高13.8cmを測ります。
瓶正面中央にロゴマークと大沢の文字、裏面にはOSAWAと赤く印字されています。底部側面には「正180cc」とエンボスされています。ロゴマークが何を表しているのかは不明です。
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ちなみに、鴻巣市の会社の前には、最近では珍しい瓶売りの自動販売機が設置されています。

諏訪木遺跡出土瓶2 [瓶]

今回は、「くじらい牛乳」瓶です。
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正180㏄瓶で、口径4.3cm、器高13.8cm、底径5.2cmを測ります。瓶正面には、消えてしまっていますが、円形の枠の中に、クジラが潮を吹いているトレードマークの痕跡が残っています。潮の形がMILKのMを表しています。円形枠の上には「REGISTED」、下には「TRADE MARK」と印字されています。底面側面には「ビタミン添加 鯨井牛乳」と印字されています。このデザインの瓶は、昭和50年代から平成5年頃まで用いられていました。
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くじらい牛乳は、くじらい乳業㈱が製造しているもので、創業明治8年の市内万吉に所在する老舗店です。くじらい乳業㈱では、平成14年度の乳業施設再編合理化で牛乳類の自家処理を中止し、西武酪農乳業(西武牛乳)への委託となり、後に西武酪農が瓶装から撤退したことから、現在では戸田乳業が瓶詰め成製造を請け負うこととなり、くじらいの瓶に「彩の国牛乳」銘のキャップを付けて運用しています。

諏訪木遺跡出土瓶1 [瓶]

上之区画整理地内諏訪木遺跡より出土した瓶を紹介します。
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肩部に「Shinsei DRINK」とロゴが印刷され、胴部下半に「Fresh Drink NET CONTENTS 200cc」とエンボスされています。底部側面には「西川飲料株式会社 新潟県見附市本町」と印字されています。
器高21.8cm、口径2.4cm、底径4.8cmを測ります。
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西川飲料株式会社は、弱炭酸水の「パンプル」というグレープフルーツ味のジュースを販売していましたが、現在では、主にウーロン茶を製造している飲料メーカーです。この「Shinsei Drink」は、オレンジジュースが入れられて販売されていましたが、今から20年ほど前に製造が中止されたようです。

元境内遺跡出土瓶2 [瓶]

今回は、「東邦酒類株式会社」の焼酎の二合詰瓶です。
側面に「特選焼酎 あつぱれ 登録商標」と印刷されています。
口径2.5cm、底径6.0cm、器高21.0cmを測ります。
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東邦酒類株式会社は、千葉県流山工場で、銘酒「東菊」、焼酎「ハイチュー」、「コリー・ウィスキー」など、一世を風靡したヒット商品を世に出していた合成清酒メーカーです。前身は、昭和6年、東京の永代橋角のビルの一室に設立された「帝国清酒株式会社」で、「あつぱれ(天晴)」は当初、流山市の秋元三左衛門家醸造の白みりんの商標でした。
東邦酒類株式会社は、日本の蒸留酒酒造業界大手五社に属し、資本金2億円、従業員は2百名を越える企業でしたが、昭和39年に、三楽オーシャン株式会社(現:メルシャン㈱)に吸収合併されています。
ちなみに、合成清酒とは、米を使わないで製造する清酒に類似した人工酒です。大正7年に富山県で起こった米騒動を契機に、将来の食糧難における対策という視点から研究が始まりました。現在でも、清酒の代用として普及しており、料理酒としてもよく使われています。




籠原裏遺跡出土瓶8 [瓶]

籠原裏遺跡出土瓶の紹介。今回は、「レートクリーム」瓶です。
大きさは、口径3.6cm、器高4.3cm、底径4.4cmを測ります。
側面には、神殿の柱のようなもの2本と中央に丸い円が2単位エンボスされています。
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「レートクリーム」は、株式会社平尾賛平商店が発売した化粧品です。本社は、東京の日本橋に所在し、明治11年(1878)に平尾賛平氏が開業、昭和29年(1954)に廃業となっています。
このほか、「レートマユズミ」「レート口紅」「レート頬紅」等の化粧品を販売しており、戦前は、「西のクラブ」(神戸:中山太陽堂)、「東のレート」(日本橋:平尾賛平商店)といわれたほど、有名な化粧品メーカーでした。
ちなみにこのレート(Lait)は、フランス語で「乳」を意味しており、フランス語を化粧品名に採用した日本最初の企業です。


元境内遺跡出土瓶1 [瓶]

前回は籠原裏遺跡出土インク瓶を紹介しましたが、それに関連して、今回は、1996年に発掘調査を実施した元境内遺跡出土のインク瓶を紹介します。
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口径2.4cm、器高6.5cm、底径4.8cmを測ります。底面に「SIMCO」とエンボスされています。
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「SIMCO」のロゴは「Shinozaki Ink Manufacturing Company」、つまり、篠崎インキ製造株式会社を指していると思われます。
このインク瓶は、昭和11年に起こった文殊寺の火災に伴う片付け土坑から出土しており、昭和初期の製造によるものと推測されます。
元境内遺跡は、文殊寺を中心とする遺跡です。文殊寺は、『新編武蔵風土記稿』によると、1483年に増田四郎重富が、自分の居住していた館に、七堂伽藍を建立し、境内地1万5千坪を寄進したことにより始まったとされ、現在開基より35世を数えます。
現在でもその館の痕跡として、境内の西・北側に外郭の土塁と堀が、西側で230m、北側で320mが残っており、内郭の堀も西側で110m程確認することができます。

籠原裏遺跡出土瓶7 [瓶]

籠原裏遺跡出土瓶の紹介。今回は、「RIGHT」のインク瓶です。
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高さ6.8cm、底径5.4cmを測り、底面に「RIGHT INK 2oz MADE IN JAPAN 」とエンボスされています。
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この「RIGHT」は、篠崎インキ製造株式会社の商品です。篠崎インキ製造株式会社は、明治時代に篠崎又兵衛が創業し、墨田区本所緑町に本社がありました。昭和20年3月の東京大空襲で本社は焼失し、昭和22年頃倒産しています。その商標権を株式会社ライトが買い取り、戦前から著名ブランドだった「ライトインキ」の製造・販売を開始しました。現在、株式会社ライトが使用している「RIGHT」のロゴは篠崎インク製造株式会社が使用していた物と同じものです。
今回紹介したインク瓶は、ボトルキャップがねじ式でないことから、篠崎インキ製造株式会社が製造したものと推測されます。

籠原裏遺跡出土瓶6 [瓶]

籠原裏遺跡出土瓶の紹介6回目。今回は、「TUKASA」のジュース200ml瓶です。
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口縁部が欠損していますが、現存器高19.5cm、底径5.0cmを測ります。
頸部には、剥げかかっていますが、「TUKASA FRESH DRINK」と印字され
胴部下部には、「FRESH DRINKS NET CONTENTS 200cc」とエンボスされています。
底部側面には、「高崎市■■■ ■産業株式会社」と印字されています。
したがって、この「TUKASA FRESH DRINK」は、群馬県高崎市にある昭和16年創業の美峰酒類株式会社がかつて販売していた製品で、製作年代等詳細はわかりませんが、群馬県を中心に流通していたものと思われます。
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ちなみに、美峰酒類株式会社からは、現在も、「ツカサホワイトリカー」や「司焼酎」など「TUKASA」の名を冠した商品が発売されています。
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籠原裏遺跡出土瓶5 [瓶]

籠原裏遺跡出土瓶の紹介5回目。今回はアース製薬の瓶です。
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高22.0cm、口径2.3cm、底径5.8cmを測ります。肩の部分に「EARTH」とエンボスされています。
「EARTH」とはアース製薬を指しているものと思われます。アース製薬では1929年(昭和4年)に家庭用殺虫剤「アース」を発売しており、その原液が入っていた瓶と思われます。当時は、この原液を、手動式の噴霧器に入れて使用しました。
底部には、「3 ◇ A」がエンボスされています。
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1953年(昭和28年)には、スプレー式の殺虫剤「アースエアゾール」が発売されており、この瓶は、1929年(昭和4年)から1953年(昭和28年)の間に製造されたものと思われます。

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