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前中西遺跡出土瓶15 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介、15回目。今回は、「わかもと製薬株式会社」の薬ビンです。
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高さ15.4cm、口径3.6cm、底径6.6cmを測ります。側面上部に2条線、下部に3条線がエンボスされており、この条線間に紙ラベルが貼られていたと推測されます。底部には、「砲丸投げ」の人物がエンボスされています。
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わかもと製薬は、昭和 4年(1929)に東京市芝公園大門に合資会社 「栄養と育児の会」を設立し、若さの素、新栄養剤『若素(わかもと)』を発売し、家庭薬として話題になりました。昭和18年に、商号を現在の「わかもと製薬株式会社」と改称。昭和37年(1962年)以降は、胚芽培養末にビタミンB1、ビタミンB2やニコチン酸アミドとビール酵母を加え、乳酸菌数も増やして現在の「強力わかもと」を発売しています。
出土したビンは、この「強力わかもと」以前の、昭和30年代のものと思われます。
ちなみに、「砲丸投げ」のマークは、外国映画が好きだった創業者が、ある映画で見た砲丸投げのシーンを見て、その健康的な肉体美が商品のイメージにピッタリだとひらめいたことによるとのことです。

前中西遺跡出土瓶14 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介14回目。今回は、「株式会社柳屋本店」のポマードビンです。
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高さ5.2cm、口径5.3cm、底径3.8cmを測ります。底部には、源氏香の香図である「花散里(はなちるさと)」のマークがエンボスされています。
源氏香とは香道で使われる組香の一つで江戸時代に考案され、その成立は享保年間(1716〜36)まで遡るといわれています。5回の香炉が回り、一炉聞く毎に右から左へ一本づつ縦線を引いていき、同じ香と判断したものの縦線の上部を横線で繋いで表します。全部で54通りの繋ぎ方があり、「花散里」は、第一香と第三香、第二香と第四香と同香が二種類あることを示す香図です。
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柳屋は、天正12年(1584)に、明国の漢方医で徳川家康の侍医呂一官(ろいっかん)が、浜松城下で唐土事情・唐薬種に関わる御用を拝命し、元和元年(1615)江戸日本橋に、食用紅、化粧紅、練紅、白粉、香油を製造販売 たことに始まります。
明治43年(1910)に、源氏香之図の「花散里」を図案化し商標登録(現存日本最古の登録番号)し 、大正9年(1920)に柳屋ポマードを製造販売開始しています。昭和23年(1948)に株式会社柳屋本店を設立 し、現在に至っています。今年創業400年を迎えた老舗企業です。

前中西遺跡出土瓶13 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介、13回目。今回は、「神谷シャトー」のワインビンです。
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高さ28.2cm、口径2.5cm、底径6.4cmを測ります。肩部に「BEE BRAND (蜂) SWEET WINE」とエンボスされ、(蜂)の位置に蜂のデザインが配されています。胴部下端には、「TOKYO JAPAN KAMIYA SHUZO CO.LTD」とエンボスされています。
hati.jpg蜂のエンボス
「神谷シャトー」創業者の神谷伝兵衛(1856-1922)は、明治13年(1880年)、東京浅草に「みかはや銘酒店」を開店します。そこで販売された輸入葡萄酒を原料とした日本人好みの甘口の再製葡萄酒は評判を呼び、明治18年(1885)に「蜂印葡萄酒」、明治19年(1886)に「蜂印香竄葡萄酒: はちじるしこうざんぶどうしゅ」の名で売り出し海外でも高い評価を受けました。明治31年(1898)には、茨城の原野を開墾して神谷葡萄園を開園し、明治36年(1903)には醸造場の神谷シャトー(牛久シャトー、現・シャトーカミヤ)を竣工させました。明治45年(1912)4月10日には、浅草の店を改装して日本最初の洋酒バー「神谷バー」を開業しています。
茨城県牛久市にあるワイン醸造施設のシャトーカミヤの事務室(現・本館)など3棟の建物は、平成20年に重要文化財に指定されています。

前中西遺跡出土瓶12 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介、12回目。今回は丸上工場製「海苔 佃煮」ビンです。
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青緑色のビンで、口径5.4cm、高さ9.8cm、底部は5.4cm×4.0cmの長辺の張る長方形を呈しています。
側面に「海苔 〇上 佃煮」とエンボスされています。「〇」に「上」は、三州(三河)の「丸上」のマークと思われます。詳細は不明ですが、「丸上」は、昭和の前半に三州(三河)で採れた海苔を佃煮にしていた業者です。当時の佃煮は、柳屋の「江戸の華」がトップブランドで、その後、丸上が製造を始め、カゴメや桃屋も製造を始めました。
このビンには、富士山の絵が描かれた金属製の大きな王冠が付けられていました。

前中西遺跡出土瓶11 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介11回目。今回は「アゼリア」クリームビンです。
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口径4.0cm、底径3.4cm、高さ4.4cmを測る、球胴形を呈する薄ピンク色のビンです。
側面下部に「アゼリア」とエンボスされています。

この「アゼリア」は、化粧品会社として、昭和22年(1947)アゼリア薬品工業(株)として設立されました。昭和30年(1955)に東京実業(株)に改称され、昭和48年(1968)「ちふれ化粧品」を販売開始し、平成3年(1991)に(株)ちふれ化粧品に改称しています。
したがって、本ビンは、昭和22年から昭和29年の間に製造・販売されたものと判断されます。
本会社は、創業当初は訪問販売を主にしていましたが、その後、低価格品の研究に着手し、昭和37年(1962)に100円化粧品を販売し、組織としての販売斡旋を行うようになりました。広告宣伝を極力抑えるなどの方法で低価格販売を行う方針が取られましたが、平成15年(2003)より、経営方針の一部転換により テレビコマーシャルの放映が開始されています。


前中西遺跡出土瓶10 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介10回目。今回は。「シボレー」ポマードビンです。
口径5.6cm、底径6.2cmを測り、側面には切子細工状の文様が施されています。器厚0.8cmの重量感のあるビンです。
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側面に「SIBOLEY」のロゴマークと「RGD.NO,96532」、底面には「意匠登録」とエンボスされています。
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この「シボレー」とは、シボレー株式会社のことで、、昭和4年(1929)「若葉ポマード本舗」として大阪市で創業した化粧品会社です。その後、「シボレーポマード本舗」、「シボレーポマード」、「シボレー」と社名を変更し、平成13年(2001)民事再生法を申請しています。
ちなみに、このポマードの宣伝文句は、「王者の気品!パリ―の名香を配合しました」でした。

前中西遺跡出土瓶9 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介、9回目。今回は、「パースシャルム」化粧ビンです。
口径1.8cm、高さ11.8cmを測ります。側面下部に「パースシャルム」とエンボスされ、両側面に3箇所をくぼませる加工が施されています。
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この「パースシャルム」ビンの詳細については不明ですが、山梨県南巨摩郡鰍沢町の鰍沢河岸跡(かじかさわかしあと)より、本遺跡出土品より小型のビンが出土しており、パースシャルム・ヘアークリームビンとして報告しています。
bin.jpg鰍沢河岸跡出土ビン実測図
鰍沢河岸跡Ⅴは、「山梨県遺跡資料リポジトリ」でPDF公開されていますので、興味のある方は、ダウンロードしてご覧ください。

前中西遺跡出土瓶8 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介8回目。今回は大正製薬の「ワイパア」ビンです。
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高さ18.2cm、口径2.7cm、底径7.4cmを測ります。ビンの肩の部分に「ワイパア」「大正製薬」とエンボスされています。
このビンは、大正製薬が1970年代まで販売していた殺虫剤のビンです。昭和53年(1978)には、この殺虫剤ブランド「ワイパア」を「大正」ブランドに変更しています。
大正製薬では、昭和37年(1962)に、 初めてのスプレー式の無臭性エアゾル殺虫剤「ワイパアエースゾル」を発売しており、昭和51年(1976)に「大正殺虫ゾル」へ名称変更され、平成12年(2000)に白元へ商標権貸与し「ワイパア」の名称が復活しますが、平成26年(2014)に白元が経営破綻した後は生産終了し、親会社のアース製薬のオリジナル殺虫剤「アースジェット」に集約されています。

前中西遺跡出土瓶7 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介7回目。今回は、株式会社黒ばら本舗ヘアクリーム「ネオポアン」ビンです。
口径1.6cm、高さ14.6cmを測ります。側面下部に「NEOPOAN」とエンボスされています。
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株式会社黒ばら本舗は、大正12年(1923)に、東京都墨田区本所に瀧澤直治郎が、化粧品(ポマード、香油、クリーム等)の製造並びに、一般油脂、石鹸、化粧品、原料の販売業として「瀧澤勇昇堂」を創業したことにより始まります。 昭和29年に、日本初のヘアクリーム「ネオポアン」の製品化に成功し、昭和37年(1962)に現在の「株式会社黒ばら本舗」に社名を変更しています。
現在も容器の形は異なりますが、モイスチュアヘアクリームとして「ネオポアン」は発売されています。本ビンは、「黒ばら」と印字されたラベルが一部残っていたことから、社名変更後の昭和37年以降、昭和40年代頃までのものと推測されます。

前中西遺跡出土瓶6 [瓶]

前中西遺跡出土ビンの紹介6回目。今回は乳白色の「メンソレータム」ビンです。
口径5.5cm、底径5.7cm、高さ6.6cmを測ります。
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底面に「MENTHOLATUM REC TRADE MARK」とエンボスされています。

メンソレータムとは、アメリカのユッカ社(後にメンソレータム社に改称) が明治27年(1894)に開発し、同社または同社とライセンス契約を結んだ会社が製造・販売していた塗り薬の商品名です。大正9年(1920)には、「近江セールズ株式会社(現・近江兄弟社)」が設立され、「メンソレータム」の輸入販売を開始しています。現在は、1988年にメンソレータム社を買収して親会社となったロート製薬が製造・販売する、スキンケア商品のブランド名です。
また、ちょっとややこしいですが、近江兄弟社では、「メンターム」を販売しています。「メンソレータム」と「メンタム」と似ていますが、主原料や効能は「メンソレータム」とほぼ同じで、容器のデザインも酷似しています。「メンソレータム」が黄色ワセリンを使っているのに対し、「メンターム」は白色ワセリンを使っているため色合いが若干異なります。

ちなみに、「メンソレータム:MENTHOLATUM」の名前の由来はmenthol(メンソール)とpetrolatum(ペトロレータム:ワセリンの別名)の組み合わせです。

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