遺物洗い [整理作業]
先週で上之地内箱田氏館跡の発掘調査は終了しました。
弥生時代から古墳時代にかけての方形周溝墓、住居跡、土器棺墓等が検出されました。
本日からは、江南文化財センターに出土遺物を運び、洗浄・注記作業を始めました。
↓は、ちょっと窮屈そうですが、荷解室にて遺物の洗浄作業をしているところです。
また本日、本ブログの総閲覧者数が130,000人を超えました。今後ともよろしくお願いします。
弥生時代から古墳時代にかけての方形周溝墓、住居跡、土器棺墓等が検出されました。
本日からは、江南文化財センターに出土遺物を運び、洗浄・注記作業を始めました。
↓は、ちょっと窮屈そうですが、荷解室にて遺物の洗浄作業をしているところです。
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立野古墳群 [整理作業]
立野古墳群では、これまで第1次調査で11基(第1・3・11~18号墳・第1号小石室)、第3次調査で3基(第4・5号墳・第2号小石室)、第4次調査で1基(第2号墳)の合計15基の古墳が調査されています。
この他、墳丘の残る古墳が現況で4基(第6~9号墳)確認されており、墳丘の失われている古墳が調査区外に相当数存在していることが想定されます
本古墳群の特徴として、石室の構築石材と古墳の規模およびその配置には次のような相関関係が認められます。
A-直径20mを超える大型円墳 ―Ⅰ.石室は凝灰岩截石(第1・2・12・14号墳)
―Ⅱ.石室は河原石・凝灰岩(第4号墳)
B-直径10m~15mの中型円墳 ―Ⅰ.石室は凝灰岩截石(第3・17号墳)
―Ⅲ.石室は河原石(第5・11・13・15号墳)
C-直径10m以下の小型円墳・小石室―Ⅲ.石室は凝灰岩片(第16墳・1・2号小石室)
古墳の規模をもとにA~Cの3分類すると、その規模に対応する石室石材はA:(Ⅰ・Ⅱ)、B:(Ⅰ・Ⅲ)、C:(Ⅲ)となり、凝灰岩截石石材を使用した古墳規模の優位性が認められます。
各古墳の配置は、第12号墳(AⅠ):第13号墳(BⅢ)、第2号墳(AⅠ):第11号墳(BⅢ)、第3号墳(BⅠ):第15号墳(BⅢ)、第17号墳(BⅠ):第18号墳(B?)、第1号墳(AⅠ):第1号小石室(CⅢ)、第9号墳(B?):第2号小石室(CⅢ)に纏まり、現段階では、基本的にAⅠ又はBⅠとBⅡが対となる配置構成をとることが認識されます。
本古墳群の築造時期は、その出土遺物から判断して7世紀前葉から8世紀初頭と判断されます。(平成25年3月刊行予定報告書より)
この他、墳丘の残る古墳が現況で4基(第6~9号墳)確認されており、墳丘の失われている古墳が調査区外に相当数存在していることが想定されます
本古墳群の特徴として、石室の構築石材と古墳の規模およびその配置には次のような相関関係が認められます。
A-直径20mを超える大型円墳 ―Ⅰ.石室は凝灰岩截石(第1・2・12・14号墳)
―Ⅱ.石室は河原石・凝灰岩(第4号墳)
B-直径10m~15mの中型円墳 ―Ⅰ.石室は凝灰岩截石(第3・17号墳)
―Ⅲ.石室は河原石(第5・11・13・15号墳)
C-直径10m以下の小型円墳・小石室―Ⅲ.石室は凝灰岩片(第16墳・1・2号小石室)
古墳の規模をもとにA~Cの3分類すると、その規模に対応する石室石材はA:(Ⅰ・Ⅱ)、B:(Ⅰ・Ⅲ)、C:(Ⅲ)となり、凝灰岩截石石材を使用した古墳規模の優位性が認められます。
各古墳の配置は、第12号墳(AⅠ):第13号墳(BⅢ)、第2号墳(AⅠ):第11号墳(BⅢ)、第3号墳(BⅠ):第15号墳(BⅢ)、第17号墳(BⅠ):第18号墳(B?)、第1号墳(AⅠ):第1号小石室(CⅢ)、第9号墳(B?):第2号小石室(CⅢ)に纏まり、現段階では、基本的にAⅠ又はBⅠとBⅡが対となる配置構成をとることが認識されます。
本古墳群の築造時期は、その出土遺物から判断して7世紀前葉から8世紀初頭と判断されます。(平成25年3月刊行予定報告書より)
立野古墳群第2号墳前庭部 [整理作業]
立野古墳群第2号墳 [整理作業]
鉄鏃 [整理作業]
現在、立野古墳群第2号墳の発掘調査報告書の刊行作業を進めており、出土遺物の写真撮影を昨日から行っています。
立野古墳群は、市内板井地内にある円墳で構成される古墳時代終末期の群集墳です。
第2号墳は、凝灰岩截石石材による複式構造の石室(玄室・前室・羨道部)を持つ、7世紀初頭の古墳です。立野古墳群では、現在10数基の古墳が調査されていますが、複式構造の石室を持つ古墳はこの第2号墳のみです。
2005年12月の調査の様子が、旧江南町が開設した「江南町文化財日記」で見ることができますので、ご覧ください。
↓は、玄室内から出土した鉄鏃の写真です。玄室・前室内から50点近い鉄鏃が出土していますが、鏃身部(鉄鏃の先端部)の形態は五角形となるものに限られています。鏃身部が五角形となる石鏃は、近隣では出土例が少なく、1つの古墳から出土している石鏃がこの形態のみというのは珍しい例です。
立野古墳群は、市内板井地内にある円墳で構成される古墳時代終末期の群集墳です。
第2号墳は、凝灰岩截石石材による複式構造の石室(玄室・前室・羨道部)を持つ、7世紀初頭の古墳です。立野古墳群では、現在10数基の古墳が調査されていますが、複式構造の石室を持つ古墳はこの第2号墳のみです。
2005年12月の調査の様子が、旧江南町が開設した「江南町文化財日記」で見ることができますので、ご覧ください。
↓は、玄室内から出土した鉄鏃の写真です。玄室・前室内から50点近い鉄鏃が出土していますが、鏃身部(鉄鏃の先端部)の形態は五角形となるものに限られています。鏃身部が五角形となる石鏃は、近隣では出土例が少なく、1つの古墳から出土している石鏃がこの形態のみというのは珍しい例です。
土器洗い [整理作業]
西別府遺跡群の範囲確認調査を実施していた大竹遺跡。昨日、航空写真をラジコンヘリで撮影して終了しました。
調査の結果、残念ながら幡羅郡衙関連の遺構は確認することは出来ませんでしたが、7世紀から10世紀にかけての平安時代の集落跡を確認することができました。
引き続き本日より、江南文化財センターにおいて出土遺物の洗浄を始めました。平安時代の土器が主体ですが、住居跡より、鎧の小札(こざね)片が1枚出土しています。
昨日、本ブログの総閲覧者数が110,000人を超えました。
また、YouTubeに登録しているチャンネル名「konancpc」にupしている動画16本の総再生回数が1,000回を超えました。
今後ともよろしくお願いします。
調査の結果、残念ながら幡羅郡衙関連の遺構は確認することは出来ませんでしたが、7世紀から10世紀にかけての平安時代の集落跡を確認することができました。
引き続き本日より、江南文化財センターにおいて出土遺物の洗浄を始めました。平安時代の土器が主体ですが、住居跡より、鎧の小札(こざね)片が1枚出土しています。
昨日、本ブログの総閲覧者数が110,000人を超えました。
また、YouTubeに登録しているチャンネル名「konancpc」にupしている動画16本の総再生回数が1,000回を超えました。
今後ともよろしくお願いします。
遺物洗い [整理作業]
7月に発掘調査を行なった諏訪木遺跡の出土遺物の洗浄を始めました。
溝跡から出土した中・近世の土器片と、中世の石造物(五輪塔・板碑)の部材が主体です。
現場では泥が付いていて気が付きませんでしたが、焙烙(ホウロク)は、割れてしまった口縁に補修孔をあけ、銅線を巻いてつなげ、修理して使用していました。
溝跡から出土した中・近世の土器片と、中世の石造物(五輪塔・板碑)の部材が主体です。
現場では泥が付いていて気が付きませんでしたが、焙烙(ホウロク)は、割れてしまった口縁に補修孔をあけ、銅線を巻いてつなげ、修理して使用していました。
土器復元 [整理作業]
木製品保存処理 [整理作業]
本日、先日まで調査していた箱田氏館跡の方形周溝墓の溝内埋葬施設付近より出土した木製品の保存処理のための搬出作業を行いました。
また、昨年6月30日の記事で紹介した前中西遺跡より出土した木製品(槽:水を溜めたり不純物を沈殿させる容器で、祭祀に関係する遺物)の保存処理が終わり、納品となりました。遺存状態が悪いため土ごと取り上げ、保存処理に出した物ですが、土を除去し、クリーニングを行い、樹脂を含浸させ補強し、補彩処理を行い、通常環境で保管できるようになりました。
また、昨年6月30日の記事で紹介した前中西遺跡より出土した木製品(槽:水を溜めたり不純物を沈殿させる容器で、祭祀に関係する遺物)の保存処理が終わり、納品となりました。遺存状態が悪いため土ごと取り上げ、保存処理に出した物ですが、土を除去し、クリーニングを行い、樹脂を含浸させ補強し、補彩処理を行い、通常環境で保管できるようになりました。