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松本旭句碑 [句碑・歌碑]

市内妻沼歓喜院本坊前に建てられている松本旭句碑を紹介します。
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「花満つる 時しも 実盛像 拝す」と刻まれています。
平成3年勲三等旭日中綬章と、俳誌『橘』200号刊行を記念して、平成7年4月、松本旭主宰句碑建立実行委員会により建立されたものです。

松本 旭(1918-2015):俳人、俳句研究家、国文学者、作詞家。埼玉県大石村(現上尾市)出身。加藤楸邨、角川源義に師事して俳句を詠み、1978年俳誌『橘』を創刊、主宰。「村上鬼城研究」で俳人協会評論賞受賞。連歌・近代俳句の研究家でもあった。埼玉文学賞の選考委員を務める。句集に『猿田彦』『蘭陵王』『天鼓』『長江』『卑弥呼』などがある。また、上尾市、桶川市、川口市、戸田市、白岡市内の小中学校の校歌の作詞を行っている。

鶯林子句碑(観清寺) [句碑・歌碑]

市内弥藤吾に所在する観清寺に建てられている鶯林子句碑を紹介します。
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「夕焼けや 坂東太郎の 逆さ波」
「坂東太郎」は利根川の異名。昭和59年春、堀越鶯林子先生句碑建立委員会により建立。

鶯林子:本名堀越敬紀(1917-■)妻沼町生。俳句を石原八束(1919-1998)に師事。埼玉県俳句連盟常任理事、妻沼町俳句連盟会長を歴任。平成元年勲五等瑞宝章受章

いろは歌碑 [句碑・歌碑]

市内妻沼歓喜院本坊本堂右手の「加行堂」前に建てられている、空海直筆と伝えられる「いろは歌」碑を紹介します。「いろは歌」とは、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文(ずもん:呪文)のことです。同様の誦文に「あめつちの詞」があります。
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変体平がな47字で4行に「いろはにほへと ちりぬるをわかよたれそ つねならむうゐのおくやま けふこえてあさきゆめみし ゑひもせす」「空海」と刻まれています。
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このいろは歌の意味は諸説あり、「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」と、仏教的な無常を歌った歌とも解釈されています。面白い説として、7段書きした「いろは」の沓に相当する7字目が「とかなくてしす」となることから、 「咎(罪)なくて死す」となり、作者の遺恨を意図的に込めたものとの解釈があります。
作者も空海(774-835)、柿本人麻呂(660頃-724)、源高明(914-983)など諸説あり、成立年代も10世紀末~11世紀中葉に成ったものと推測されていますが定かではありません。

田島一宿句碑 [句碑・歌碑]

市内円光二丁目地内の報恩寺境内に建てられている田島一宿句碑を紹介します。
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本碑は、昭和50年10月に高唱俳句会・詩吟包容会の有志12名により建てられたもので「一枚の ハガキの重み 沈丁花」の句が刻まれています。

田島一宿(1896-1973):俳人。本名一郎。号は「熊谷草」「桜蓮子」。市内仲町田島旅館生まれ。家業を継ぐかたわら文芸に興味を持ち、俳句の道に研鑽。大正11年国民新聞俳壇の虚子選に「麦秋や 電車となりし 秩父線」が選ばれる。大正15年1月、市内石原の「乱雲会」、上之の「若葉会」とともに俳句結社「泉吟社」を創立する。同年2月には虚子、池内たけしを迎えて星渓園において泉吟社発会の記念句会を催した。戦後の混乱期には「熊谷俳人会」を結成し、熊谷市文化連合の創立に参画した。昭和27年熊谷市文化功労者として市より表彰を受ける。また、熊谷市政20周年記念の熊谷市歌や、市内各校の校歌や各会の会歌等の作詞を行っている。

三陀羅法師歌碑 [句碑・歌碑]

石上寺境内に建てられている三陀羅法師の歌碑を紹介します。
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「我も其 阿弥陀笠きて 咲く花に うしろハ見せぬ 熊谷さくら」
この歌は、三陀羅法師が文化5年(1808)3月13日熊谷を訪れ、漢学者青木金山主催の石上寺で開催された書画会に、窪天民、浦上春琴、谷文一、釧雲泉らと共に臨席した際に詠んだもので、熊谷直実の歌詠「浄土にも剛のものとやさたすらん。西に向ひてうしろ見せねば」に拠ったものです。
「阿」の字は、後刻。林有章が、『名勝熊谷桜』の中で「此碑いたゝき折れて阿字を失い石上寺にありければ之を補ひ再び建てぬ 明治壬寅春 幽嶂 我も亦其笠借らん花七日」と記しています。

三陀羅法師(1731-1814):狂歌師。江戸神田に住む。唐衣橘洲の門下といわれ、千秋側の主宰者となって一派をひきいた。姓は赤松、のち清野。名は正恒。別号に一寸一葉、千秋庵。編著に『狂歌三十六歌仙』『狂歌三陀羅かすみ』など。
青木金山(1781-1818):漢学者。佐渡に生まれ、江戸に出て儒学者山本北山(1752-1812)に学び、亀田鵬斉(1752-1826)、大窪詩仏(1767-1837)らと交わる。文化年間熊谷を訪れ、諸生を教授した。
浦上春琴(1779-1846):江戸時代後期の文人画家。幼少の頃より父玉堂より書画の手ほどきを受ける。山水画、花鳥画に優れ精彩で巧みでありながら透き通るような気品のある作風で、中林竹洞や山本梅逸らと名声を競った。
谷文一(1786-1818):江戸時代後期の日本画家。谷文晁の後継者として将来を嘱望されたが三十代で夭折。号は痴斎、名を文一郎、通称は権太郎と称した。
釧雲泉(1759-1811):、江戸時代後期の南画家。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画人として知られる。

内田五八九句碑(報恩寺) [句碑・歌碑]

市内円光2丁目の報恩寺に所在する内田五八九の句碑を紹介します。
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「人の日や 落つきぶりに 雪少し 五八九」と刻まれています。
碑裏面には「五八九居士中山道熊谷の人なり洛に蒼虬の門に入て風雅に推敲する事年あり 性旅を好ミ不知火の筑紫黄か年花さくみちのく山婦見ぬ隈なく奈む有ける 齢七十里に帰って親族内田氏の家に卒す はし免北涯また阿鳥晩に日永庵と号す祖翁熊谷の逸章を摘れるものか 曳常に無事をたうとふ故に一事も後世に遺すことなし 固郷数輩の風土も亦斯無為を貫ひ一章を刻して立石することしか里 元治二年乙丑三月十一日 渓斉旅星織」と刻まれています。

内田五八九(1787-1858):俳人。若くして京都成田蒼虬の門に入り、俳諧の道を極め、皓々処の号を授かり、始め北涯、阿鳥と号し、晩年に日永庵と号した。全国を巡り、安政四年(1857)71歳で故郷熊谷に帰り、星渓園近くの数寄屋造り庵を建て、芭蕉に因んで日永庵と称し後進の指導に当たった。

芭蕉句碑(報恩寺) [句碑・歌碑]

市内円光2丁目地内の報恩寺境内に建てられている芭蕉句碑を紹介します。
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「物いへば 唇さむし 秋の風」の句が刻まれています。
この句の出典は、『芭蕉庵小文庫』。明治24(1891)年内田朴山が還暦を記念して建立したものです。

碑表面には「座右の銘 人の短を言事なか礼 己の長をとくこと奈か礼 物いへば 唇さむし 秋の風 内田朴山」と刻まれています。
碑裏面には、内田朴山の句「善光寺 詣のかへるさ 姥捨山にて  気ふの命 つとせなりけ利 今日の月  還暦有二翁朴山 明治二十四年冬至日」が刻まれています。

内田朴山(1829-1893):医家・俳人。熊谷宿本町の江戸時代から続く熊谷医家に生まれる。大徳寺牧宗和尚に参禅し、茶道は待田宗隠に学ぶ。叔父は、内田五八九、弟子に四分一葉々がいる。
 

斎藤紫石句碑 [句碑・歌碑]

市内鎌倉町の熊谷市指定名勝「星渓園」に建てられている斎藤紫石の句碑を紹介します。
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「老いらくの 苔に花咲く 心地かな 紫石」 と刻まれています。昭和34年5月斎藤紫石後援会建立。

斎藤紫石(1885-1964)熊谷市鎌倉町に生まれる。本名茂八。大正10年熊谷町長に当選して以降、県議会議員を歴任し、昭和14年新市制の熊谷市長となる。俳句に親しみ、紫石と号し俳誌「鮎」の刊行を行う。政界引退後、市内石原に「紫石巣」と称する寓居を構え、独自の俳句を探求するため幽居生活を送る。昭和33年熊谷市第1号名誉市民。

山口青邨句碑 [句碑・歌碑]

市内鎌倉町の熊谷市指定名勝「星渓園」に建てられている山口青邨(やまぐちせいそん)の句碑を紹介します。
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「夕紅葉 鯉ハ浮くまま 人去りぬ」
山口青邨が、昭和25年11月に星溪園を訪れた際に詠んだ句で、昭和57年10月夏草埼玉県支部建立。

山口青邨(1892-1988):俳人。盛岡市生まれ。本名吉郎。古河鉱業、農務省に勤めた後、東京大学教授となり鉱山学を講じた。昭和22年水原秋桜子らと東大俳句会を興し、高浜虚子の指導を受けて「ホトトギス」の代表的俳人として活躍。青邨の句碑は、北海道から鹿児島まで32基余りが建立されている。

芭蕉句碑(歓喜院) [句碑・歌碑]

市内妻沼の歓喜院境内に建てられている芭蕉句碑を紹介します。
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「はせを  古池や 蛙飛込 水廼音」と刻まれています。
この句は、芭蕉が蕉風俳諧を確立した句とされており、芭蕉の作品中でもっとも知られています。季語は蛙(春)。大正12年(1923)西田聖池庵建立。石工:赤石文次郎。書:藤波數忠。

句の下に、地元の俳人13人と賛助員8名の号と句が刻まれています。
「何時見ても よき物ながら 今日の月」故 ■宝
「人■や 馬場の柳の 土埃」故 可都ミ
「平生ハ あかぬ木戸有り 梅の花」故 一井
「初雷や 翅をしごく 夕鶴」故 良孝
「雨の日は あめにも馴染む 柳かな」故 五逸
「是からは 拾ひ物 成米の春」故 一生
「下萌や 鍬こころ見る 畑の邊」故 蛙夕
「郷遊にも 壽く物を 菊の酒」故 一道
「青梅や また此先も 幾千歳」故 ■た
「稲苅や 山の端に見る 月の鎌」故 春甫
「老廼こりな 今日も巨燵の 冬籠」故 容之
「碑の雫 拭小屋 初しぐれ」祭 青蛙
「春雨の 降て居るなり 夢の山」主 穿井 

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