熊谷王クイズQ.06 昔の家の暮らしが見られます 平山家住宅のヒント [建造物]
熊谷青年会議所主催の熊谷王クイズ。
熊谷市樋春に所在する重要文化財「平山家住宅」に関連する出題もあり、
そのヒントとなる動画が公開されています。
解説は江南文化財センターの担当者が行いました。ご参照ください。
市政宅配講座「熊谷の古寺巡礼」の動画配信 [建造物]
熊谷市立吉岡公民館で開催された講座「熊谷の古寺巡礼」の様子を収録し、YouTubeの江南文化財センターサイトで配信しています。コロナ禍前の時期に開催したもので、熊谷市内の古寺をテーマにその歴史や文化財について紹介しています。どうぞご参照ください。
テレビ放映情報(BS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて」―重要文化財「平山家住宅」―) [建造物]
撮影風景
毎週日曜の午後10時54分~午後11時00分に放映されているBS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて―」において、熊谷市樋春に所在する重要文化財「平山家住宅」が紹介されます。
この番組は、日本各地の歴史的建造物や文化財建造物、モダン建物、近代和風建築などを紹介する内容で、本年4月~5月には、国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」、国登録有形文化財「日本聖公会熊谷聖パウロ教会」、国宝「歓喜院聖天堂」、重要文化財「貴惣門」など熊谷の歴史的建造物が放映されました。そして、7月に重要文化財「平山家住宅」の撮影があり、8月16日(日)に放映されることになりました。この放送によって、現時点で本市に所在する国指定・国登録有形文化財の建造物の紹介はコンプリートとなります。
重要文化財「平山家住宅」は、江戸時代中期の18世紀初頭に豪農の平山氏によって建立されたと伝わる民家住宅で、規模大きい茅葺屋根が特徴です。屋根は概ね四半世紀ごとに素材の交換や葺き替える必要があり、建造物全体の保存のために重要な作業となります。現在は今後の葺き替えに向けて準備を進めているところです。
今回、広い土間や板の間の雰囲気を生かすために、室内で保管されていた道具類や日用品などを室外に移動し撮影に臨みました。また、映像では室内上部で複雑に交わる丸太の梁(はり)の構造に着目した内容となっています。撮影風景を別添しました。ご参照ください。
概要
1 番組名 「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて」 重要文化財「平山家住宅」
2 放送局 BS朝日
3 放映日時 令和2年(2020)8月16日(日曜)
午後10時54分~午後11時00分
(放映の延期、予定が変更される場合もあります。)
詳細は同番組ホームページをご確認ください。
担当:江南文化財センター 電話048-536-5062
一般社団法人 社寺建造物保存技術協会 研修会 国宝「歓喜院聖天堂」保存修理事業及び国内の彩色修理事業の保存を主題として【妻沼聖天山】動画配信 [建造物]
本年2月に妻沼聖天山で開催された一般社団法人 社寺建造物保存技術協会 研修会 《国宝「歓喜院聖天堂」保存修理事業及び国内の彩色修理事業の保存を主題として》の様子を動画撮影し、江南文化財センターのYouTubeサイトで配信しています。全国で社寺建造物の彩色復元等の作業を担う技術者向けの研修会で、高度な技術の伝習を含めた内容になっています。幾分か難易度の高いものとなっていますが、ご参照ください。
源宗寺本堂保存修理事業 参考建築物視察 [建造物]
昨日7月29日、源宗寺本堂保存修理委員会建築小委員会のメンバーで、参考建築物の視察のため、行田市白川戸にある西明寺に伺いました。
西明寺は、平成23年に現在の本堂に改築されました。現地では、ご住職様、寺院の建築委員を務められた島崎様にご案内いただき、大変貴重なお話をお伺いすることができました。
ご住職様は、大学で電気工学を学ばれ、本堂の設計や施工管理までご自身でされたそうです。また、大震災に耐えた築300年、400年と続く寺院を実際に視察し、その建物の良い点を取り入れていったといいます。
本堂は、流れ向拝を付けた大きな銅板葺きの方形屋根が迫力を感じさせる立派な外観です。本堂内部は天井が高く広々とした空間が広がり、緻密な欄間彫刻が目を引きます。
普段は見ることのできないお堂の床下や内陣の裏側なども見学させていただきました。
ご住職様は、「昭和の時代になんとしても出来なかった永く耐久する本堂を造りたい」と五百年持たせる気構えで本堂を改築されたそうです。お話からは、設計から施工業者の選定まで、こだわりを持ってやられたご住職様の熱い想いと、それを支える島崎様はじめ檀家の皆様のご尽力の程と寺院に寄せる信頼の大きさがひしひしと伝わってきました。
西明寺は、平成23年に現在の本堂に改築されました。現地では、ご住職様、寺院の建築委員を務められた島崎様にご案内いただき、大変貴重なお話をお伺いすることができました。
ご住職様は、大学で電気工学を学ばれ、本堂の設計や施工管理までご自身でされたそうです。また、大震災に耐えた築300年、400年と続く寺院を実際に視察し、その建物の良い点を取り入れていったといいます。
本堂は、流れ向拝を付けた大きな銅板葺きの方形屋根が迫力を感じさせる立派な外観です。本堂内部は天井が高く広々とした空間が広がり、緻密な欄間彫刻が目を引きます。
普段は見ることのできないお堂の床下や内陣の裏側なども見学させていただきました。
ご住職様は、「昭和の時代になんとしても出来なかった永く耐久する本堂を造りたい」と五百年持たせる気構えで本堂を改築されたそうです。お話からは、設計から施工業者の選定まで、こだわりを持ってやられたご住職様の熱い想いと、それを支える島崎様はじめ檀家の皆様のご尽力の程と寺院に寄せる信頼の大きさがひしひしと伝わってきました。
源宗寺本堂 唐破風向拝正面の蟇股部分に彫られた文字についての考察 [建造物]
熊谷市平戸に所在する源宗寺は、17世紀初頭に藤井雅楽之助が開基し、本堂内部には薬師如来と観音菩薩の二体の木彫大仏坐像が安置されています。本堂は仏像と同時期に建てられたものと推測され、古都奈良の東大寺大仏殿を模したとも言われています。屋根は、丸瓦と平瓦を使った本瓦葺きで、一重の裳階を付け、正面には唐破風の向拝を設けています。今回考察の対象となるのは、唐破風向拝の正面部分に取り付けられた蟇股部分に彫られた文字です。
風化が進み、欠けている部分も見られ、文字の全体像がわかりにくいのが難点ですが、向かって右の文字は「靈」だと考えられます。「靈」は「神靈」、「靈験」などと使われるように、神秘な力、不思議な力を意味し、神仏と非常に関わりの深い漢字です。また、「靈」の文字は中国では形容詞として、“(神仏・予言・薬・手法・方法などの)効き目がある”という意で使用されます。この中国語での形容詞の用法から、薬の効能、つまり薬師如来を連想することができます。
一方、向かって左の文字は「露」ではないかと考えられます。観音経は法華経のなかの一部(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」)ですが、その一節に「澍甘露法雨(じゅかんろほうう) 滅除煩悩燄(めつじょぼんのうえん)」という経文があります。現代語に訳すと「観音さまを信じていると、甘露のような法雨が降ってきて、人間の心に燃えさかっている煩悩の火にそそいで、火を消しほろぼしてくれます。」(瀬戸内寂聴 2007 p.167)という意味です。「甘露」とは、甘い味の露のことです。「法雨」の「法」は、仏様の教えのことであり、「仏様の教えの雨」ということになり、「甘露の法雨」は「甘露のような甘くておいしい仏様の教えの雨」という意味になります。このことから、「甘露」の「露」という文字からは、観音菩薩とのつながりを見出すことができます。
また、堂内に安置されている仏像の配置も、向かって右が薬師如来、左が観音菩薩であり「靈露」の文字の配置と一致します。
「靈露」は、日本語での読み方は不明ですが、中国語では「líng lù」(リン ル)と発音し、中国の古文書などではこの単語がしばしば見られるようです。中国の古文書において「靈露」は、おおよそ二つの意味で使われています。一つは、最上の、非常によい露。もう一つは、仙薬または仙薬を比喩するものとして使われているようです。
参考文献
瀬戸内寂聴 2007 『愛と救いの観音経』 中央公論新社
風化が進み、欠けている部分も見られ、文字の全体像がわかりにくいのが難点ですが、向かって右の文字は「靈」だと考えられます。「靈」は「神靈」、「靈験」などと使われるように、神秘な力、不思議な力を意味し、神仏と非常に関わりの深い漢字です。また、「靈」の文字は中国では形容詞として、“(神仏・予言・薬・手法・方法などの)効き目がある”という意で使用されます。この中国語での形容詞の用法から、薬の効能、つまり薬師如来を連想することができます。
一方、向かって左の文字は「露」ではないかと考えられます。観音経は法華経のなかの一部(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」)ですが、その一節に「澍甘露法雨(じゅかんろほうう) 滅除煩悩燄(めつじょぼんのうえん)」という経文があります。現代語に訳すと「観音さまを信じていると、甘露のような法雨が降ってきて、人間の心に燃えさかっている煩悩の火にそそいで、火を消しほろぼしてくれます。」(瀬戸内寂聴 2007 p.167)という意味です。「甘露」とは、甘い味の露のことです。「法雨」の「法」は、仏様の教えのことであり、「仏様の教えの雨」ということになり、「甘露の法雨」は「甘露のような甘くておいしい仏様の教えの雨」という意味になります。このことから、「甘露」の「露」という文字からは、観音菩薩とのつながりを見出すことができます。
また、堂内に安置されている仏像の配置も、向かって右が薬師如来、左が観音菩薩であり「靈露」の文字の配置と一致します。
「靈露」は、日本語での読み方は不明ですが、中国語では「líng lù」(リン ル)と発音し、中国の古文書などではこの単語がしばしば見られるようです。中国の古文書において「靈露」は、おおよそ二つの意味で使われています。一つは、最上の、非常によい露。もう一つは、仙薬または仙薬を比喩するものとして使われているようです。
参考文献
瀬戸内寂聴 2007 『愛と救いの観音経』 中央公論新社
摩多利神社 [建造物]
妻沼聖天山歓喜院から西に国道407号線の登戸の交差点を越えて進み、一つ目の信号を右折、300メートルほど北に進んで路地を入ったところに摩多利神社があります。少し小高くなった丘の上に、木々に囲まれてひっそりと佇んでいます。この丘は、古墳時代後期の円墳で、その墳丘上に社殿が鎮座しています。
造りは国宝・歓喜院聖天堂と同じく、本殿と拝殿を廊下状の「石の間」で繋いだ、いわゆる権現造り。本殿の彫刻は、聖天堂と比べると随分落ち着いていますが、軒下の霊獣や丸彫りで立体的に表現された波など、一つひとつの彫刻はとても緻密に彫られています。一見、白木のように見えますが、龍や獅子の口内に赤い顔料が確認できることから、おそらく彩色が施されていたものと思われます。
昭和3年11月妻沼町教育委員会発行の『妻沼町誌 全』には次のように記されています。
摩多利堂
本尊 摩多利尊天
由緒 不詳
本堂 間口 二間 奥行 二間
渡殿 間口 九尺 奥行 二間
境内 五一四坪
縁起 本堂は歓喜院持にして大塚に在り樹木鬱蒼として古色を存す疫病除の尊天として、諸人
の信仰甚だ厚し。
文化財指定のされていない社寺建造物は、保存修理のメンテンナンスが行き届かず、十分な保護が受けられないものも数多くあります。
先人たちが残した貴重な遺産を再認識し、地域全体で当地の歴史を守り受け継いでいくことが求められています。
造りは国宝・歓喜院聖天堂と同じく、本殿と拝殿を廊下状の「石の間」で繋いだ、いわゆる権現造り。本殿の彫刻は、聖天堂と比べると随分落ち着いていますが、軒下の霊獣や丸彫りで立体的に表現された波など、一つひとつの彫刻はとても緻密に彫られています。一見、白木のように見えますが、龍や獅子の口内に赤い顔料が確認できることから、おそらく彩色が施されていたものと思われます。
昭和3年11月妻沼町教育委員会発行の『妻沼町誌 全』には次のように記されています。
摩多利堂
本尊 摩多利尊天
由緒 不詳
本堂 間口 二間 奥行 二間
渡殿 間口 九尺 奥行 二間
境内 五一四坪
縁起 本堂は歓喜院持にして大塚に在り樹木鬱蒼として古色を存す疫病除の尊天として、諸人
の信仰甚だ厚し。
文化財指定のされていない社寺建造物は、保存修理のメンテンナンスが行き届かず、十分な保護が受けられないものも数多くあります。
先人たちが残した貴重な遺産を再認識し、地域全体で当地の歴史を守り受け継いでいくことが求められています。
源宗寺本堂保存修理事業 参考建築物視察 [建造物]
源宗寺本堂保存修理委員会建築小委員会のメンバーで、源宗寺本堂建て替え工事の参考視察のため、行田市斎条にある宝泉寺に伺いました。宝泉寺は平成25年に本堂の建て替えを行っています。
(宝泉寺本堂)
現地では、ご住職様のご案内のもと、本堂内部も見学させていただきました。
宝泉寺のすぐ南側には星川が流れており、大雨や洪水に見舞われた際には、境内もしばしば浸水の被害を受けたといいます。そのため、建て替えられた宝泉寺の本堂は他の寺院に比べると基礎がかなり高い造りになっています。屋根は元来、茅葺きだったものを改修時に、瓦葺きに替えたことで本堂がその重みに耐えられず、50年ほどしかもたなかったことから、軽量な銅板葺きに変更したといいます。費用を抑えるため、壁は漆喰風のボードを使用しているそうです。
(視察の様子)
翻って源宗寺ですが、すぐ裏手には忍川が流れており、本堂には柱を切り詰めた跡があることから、当時から源宗寺も洪水の被害を受けていたと考えられています。現在、本堂が建立されている場所は、周辺の土地よりも低い場所にあるため、今回の本堂改修工事では、ある程度の高さの基礎を築いた上に本堂を建てる予定です。本堂の造りについては、現在、委員会で検討中ですが、できる限り費用を抑えながら、東大寺の大仏殿を模したといわれる源宗寺の風格を残していければと考えています。
(宝泉寺本堂)
現地では、ご住職様のご案内のもと、本堂内部も見学させていただきました。
宝泉寺のすぐ南側には星川が流れており、大雨や洪水に見舞われた際には、境内もしばしば浸水の被害を受けたといいます。そのため、建て替えられた宝泉寺の本堂は他の寺院に比べると基礎がかなり高い造りになっています。屋根は元来、茅葺きだったものを改修時に、瓦葺きに替えたことで本堂がその重みに耐えられず、50年ほどしかもたなかったことから、軽量な銅板葺きに変更したといいます。費用を抑えるため、壁は漆喰風のボードを使用しているそうです。
(視察の様子)
翻って源宗寺ですが、すぐ裏手には忍川が流れており、本堂には柱を切り詰めた跡があることから、当時から源宗寺も洪水の被害を受けていたと考えられています。現在、本堂が建立されている場所は、周辺の土地よりも低い場所にあるため、今回の本堂改修工事では、ある程度の高さの基礎を築いた上に本堂を建てる予定です。本堂の造りについては、現在、委員会で検討中ですが、できる限り費用を抑えながら、東大寺の大仏殿を模したといわれる源宗寺の風格を残していければと考えています。
根岸家の文化財活用に向けて [建造物]
伝承遊びを伝える会著『囲碁』と国宝「歓喜院聖天堂」「琴棋書画」 [建造物]
伝承遊びを伝える会著『囲碁』
国宝「歓喜院聖天堂」拝殿正面の「琴棋書画」
伝承遊びを伝える会著『囲碁』が刊行されました。
熊谷市妻沼の国宝「歓喜院聖天堂」にある彫刻「琴棋書画」などを紹介し、
囲碁の歴史を分かりやすく紹介しているガイドブックです。
画像の提供と説明内容の監修を行いました。
「琴棋書画」は、琴と碁と書と画を意味し、昔、現在の中国においてこれを四芸と称し、士君子の余技や風流人の嗜みとして尊ばれました。画題として好んで描かれ、日本でも襖絵、屏風絵などに多く描かれています。聖天堂では拝殿正面破風の下部にこの題材の彫刻が置かれています。
伝承遊びを伝える会著『囲碁』 概要
内容(「BOOK」データベースより)
伝承遊びのひとつである「囲碁」について、興味をもつきっかけになる本です。囲碁が長く愛されたのはなぜか、歴史上の偉人たちの将棋とのかかわりや、現在活躍中の棋士の囲碁への思いを知り、囲碁の魅力を探っていきます。テレビなどメディアで見る囲碁の世界や、さまざまな道具を見ることで、囲碁文化の多様性を感じることができるでしょう。囲碁で実際に遊ぶためのルールを学びます。囲碁のルールをもとに作ったクイズは、パズルのように楽しめます。中国で生まれた囲碁の歴史、日本に伝わった背景や、世界中に広まっている現状、さらに近年のインターネットやAIとのかかわりを知ることで、囲碁文化の奥深さを感じることができるでしょう。囲碁にまつわる豆知識を奇数ページに散らしています。実際に囲碁をしなくても楽しめる内容が満載です。
著者:伝承遊びを伝える会
取材先:日本棋院、一力遼竜星、仲邑菫棋士、川越igoまち俱楽部、囲碁サロン「天元」などの取材・撮影等
登録情報
大型本: 31ページ
出版社: 文溪堂 (2020/3/19)
言語: 日本語
ISBN-10: 4799903691
ISBN-13: 978-4799903698
発売日: 2020/3/19
梱包サイズ: 20 x 18 x 0.8 cm