源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況 [建造物]
市内平戸の源宗寺では、来週23日に行われる仏像移動行事に向けて着々と準備が進められています。
12月12日(土)、源宗寺本堂の瓦降ろしが行われ、一枚一枚、手作業によって瓦が取り外されました。向拝部分の龍の鬼瓦、大棟や隅棟部分の鬼瓦は一時保存し、今後瓦の修繕も検討中です。
鬼瓦には刻印がありました。昭和の改修時に、造られたもののようです。
昨日14日(月)からは、本堂東側の解体が始まり、仏像移動のための花道の設置工事も着々と進められています。
12月12日(土)、源宗寺本堂の瓦降ろしが行われ、一枚一枚、手作業によって瓦が取り外されました。向拝部分の龍の鬼瓦、大棟や隅棟部分の鬼瓦は一時保存し、今後瓦の修繕も検討中です。
鬼瓦には刻印がありました。昭和の改修時に、造られたもののようです。
昨日14日(月)からは、本堂東側の解体が始まり、仏像移動のための花道の設置工事も着々と進められています。
ー熊谷の名工の足跡を辿るー植野惣社稲荷神社(一本木稲荷) [建造物]
植野惣社稲荷神社は、群馬県前橋市総社町にあります。江戸時代初期、境内に稀な榎の大木があったことから、一本木稲荷とも呼ばれています。
本殿とその覆屋は、明和7年(1770)に創建されました。本殿の彫刻は、勢多郡黒保根村出身の彫刻師・関口文治郎他4名によって手掛けられました。文治郎は、「上州の左甚五郎」とも謳われ、熊谷の国宝・歓喜院聖天堂の造営にも携わっています。
明和7年創建の本殿覆屋
また、現在の拝殿は元治元年(1864)に修復再建されました。拝殿は、千鳥破風と向拝に軒唐破風を備えた造りです。社殿の彫刻を手掛けたのは、武州熊谷出身の彫刻師・小林源太郎です。先日、当ブログにて紹介した早尾神社本殿の彫刻を手掛けた初代・小林源八正信の2代目となります。源太郎は、「関東の名工」と称され、榛名神社双龍門など多くの作品を残しています。
向拝部分の海老虹梁 透かし彫りの親子龍
拝殿左の脇障子 瓢箪から駒
拝殿正面の扉彫刻
柱に施された地紋彫り
社殿は、何度も利根川の洪水被害にあい、その都度住民の手により遷宮、再建されてきたようです。
境内の裏手からは、利根川を見下ろすことができます。
ー熊谷の名工の足跡を辿るー早尾神社本殿 [建造物]
早尾神社本殿は、群馬県渋川市半田にある江戸時代後期の特徴を示す社殿です。本殿は、大きなガラス窓のある覆屋の中に鎮座しています。棟札によると文化14年(1817)に建築されたとされ、素木造り、屋根はこけら葺きとなっています。
南側を正面に、北及び東西の三面には、縁の下の木組みや柱、梁など細部に至るまで緻密な彫刻が施されています。
南側正面の海老虹梁と左右の柱には龍が巻き付いています。
北面 孔子が旅の途中で陽虎と間違われ槍を突きつけられている場面
東面 中国の武将・韓信の少年時代の様子
西面 金時(後の坂田金太郎)が母と別れる場面
腰羽目彫刻や脇障子にも、唐子や動物の彫刻が施されています。
これらの彫刻を手がけたのは、江戸時代の彫刻師 小林源八正信です。
小林源八正信は、幡羅郡玉井村(現在の熊谷市)に住み、初代小林源八を名乗りました。花輪村の石原吟八郎を継いだ2代目石原吟八に師事したといわれています。
半田の早尾神社本殿は、渋川市指定重要文化財となっています。
南側を正面に、北及び東西の三面には、縁の下の木組みや柱、梁など細部に至るまで緻密な彫刻が施されています。
南側正面の海老虹梁と左右の柱には龍が巻き付いています。
北面 孔子が旅の途中で陽虎と間違われ槍を突きつけられている場面
東面 中国の武将・韓信の少年時代の様子
西面 金時(後の坂田金太郎)が母と別れる場面
腰羽目彫刻や脇障子にも、唐子や動物の彫刻が施されています。
これらの彫刻を手がけたのは、江戸時代の彫刻師 小林源八正信です。
小林源八正信は、幡羅郡玉井村(現在の熊谷市)に住み、初代小林源八を名乗りました。花輪村の石原吟八郎を継いだ2代目石原吟八に師事したといわれています。
半田の早尾神社本殿は、渋川市指定重要文化財となっています。
源宗寺本堂片付け [建造物]
11月26日(木)、市内平戸の源宗寺にて、本堂の片付けを行いました。来週12月1日(火)に撥遣式を行い、12月23・24日に仏像を仮小屋に移設後、本堂の解体工事に着手する予定です。
片付けには、牧野隆夫先生率いる吉備文化財修復所のスタッフの皆さんと一級建築士の細川末廣先生にも御立会いただき、源宗寺護持会の皆さんと協力しながら作業を進めました。
堂内からは、額や絵馬、ご位牌など様々なものが出てきました。先生方や文化財センターの職員による指示のもと、分別を行いました。
本堂内部裏側は、床が抜け、土壁がボロボロとはがれ落ちていました。
午後からは、吉備文化財修復所による、仏像移動の事前準備と調査が実施されました。
片付けには、牧野隆夫先生率いる吉備文化財修復所のスタッフの皆さんと一級建築士の細川末廣先生にも御立会いただき、源宗寺護持会の皆さんと協力しながら作業を進めました。
堂内からは、額や絵馬、ご位牌など様々なものが出てきました。先生方や文化財センターの職員による指示のもと、分別を行いました。
本堂内部裏側は、床が抜け、土壁がボロボロとはがれ落ちていました。
午後からは、吉備文化財修復所による、仏像移動の事前準備と調査が実施されました。
源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況 [建造物]
先週11月15日(日)に源宗寺現本堂での最後の一般公開を終えた「平戸の大仏」。来月には本堂の解体工事に着手し、いよいよ新たな本堂の建設が始まります。本堂建設中は、熊谷市指定有形文化財である薬師如来と観音菩薩の2体の木彫大仏坐像(「平戸の大仏」)は、仮小屋内で保存管理することとなります。
現在、本堂東側では、仏像を保管するための仮小屋の建設工事が着々と進められています。
明日26日に、本堂内の片付けを行い、12月1日(火)に撥遣式(仏像を別の場所に移動する場合などに、魂を抜いた状態にするための儀式)を行う予定です。
今後の大まかなスケジュールは以下の通りです。
令和2年11月26日 本堂内片付け(仏像欠損部品等探索)
令和2年12月 1日 撥遣式(はっけんしき:いわゆる“魂抜き”)
令和2年12月 3日 仏像養生作業 開始
令和2年12月10日 仏像仮設小屋 完成
令和2年12月12日 本堂東壁解体 開始(仏像搬出口確保のため)
令和2年12月19日 仏像移動台工事 開始
令和2年12月23日 仏像移動 開始(仏像仮設小屋へ平行移動する)
令和2年12月25日 仏像移動台・旧本堂本体 解体開始
また、今週27日(金)、jcom熊谷・深谷にて先週の「平戸の大仏」最後の一般公開の様子が放送される予定です。
「ジモト応援!埼玉つながるNews~熊谷・深谷~」夕方18時より放送です。是非ご覧ください。
現在、本堂東側では、仏像を保管するための仮小屋の建設工事が着々と進められています。
明日26日に、本堂内の片付けを行い、12月1日(火)に撥遣式(仏像を別の場所に移動する場合などに、魂を抜いた状態にするための儀式)を行う予定です。
今後の大まかなスケジュールは以下の通りです。
令和2年11月26日 本堂内片付け(仏像欠損部品等探索)
令和2年12月 1日 撥遣式(はっけんしき:いわゆる“魂抜き”)
令和2年12月 3日 仏像養生作業 開始
令和2年12月10日 仏像仮設小屋 完成
令和2年12月12日 本堂東壁解体 開始(仏像搬出口確保のため)
令和2年12月19日 仏像移動台工事 開始
令和2年12月23日 仏像移動 開始(仏像仮設小屋へ平行移動する)
令和2年12月25日 仏像移動台・旧本堂本体 解体開始
また、今週27日(金)、jcom熊谷・深谷にて先週の「平戸の大仏」最後の一般公開の様子が放送される予定です。
「ジモト応援!埼玉つながるNews~熊谷・深谷~」夕方18時より放送です。是非ご覧ください。
文化財の保存修理と伝統技術の継承 [建造物]
歓喜院聖天堂では、平成28年から平成31年にかけて美装化事業が実施され、彩色部分のクリーニング、漆の塗り直し等が行われています。
先日、歓喜院聖天堂に足を運んだ際に、美装化時の修繕個所を確認してきました。
漆による塗装部分は耐水性もあり、比較的外部からの刺激に強いことに加え、美装化時に塗り直しを行っとこともあり、きれいな色合いを保っていました。一方、有機物である膠を接着剤としている顔料による彩色部分は、外部の温湿度変化や風雨の影響を受けやすく、剥落や汚れ等が目立ちます。
↑平成30年5月10日撮影
↑令和2年11月16日撮影
今後も文化財としての価値を維持し、後世にその技術を伝えていくためにも、定期的な修理を続けていくことが求められます。
11月17日、文化庁は宮大工や左官職人ら匠が継承する「伝統建築工匠の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」について、ユネスコの評価機関が無形文化遺産に登録するよう勧告したと発表しました。「伝統建築工匠の技」は全17分野で構成され、その中には彩色や漆搔きなども含まれています。
茅葺や漆喰壁などは現代では珍しくなり、生活様式の変化による需要の減少や、海外からの安価な輸入漆による国産漆の生産の減少など、日本特有の伝統建築の技術の継承には多くの課題があります。また、職人の高齢化や後継者不足も深刻化しています。登録を機に、後継者育成のための
環境づくりの一層の高まりと伝統技術の後世への継承促進に期待したいです。
先日、歓喜院聖天堂に足を運んだ際に、美装化時の修繕個所を確認してきました。
漆による塗装部分は耐水性もあり、比較的外部からの刺激に強いことに加え、美装化時に塗り直しを行っとこともあり、きれいな色合いを保っていました。一方、有機物である膠を接着剤としている顔料による彩色部分は、外部の温湿度変化や風雨の影響を受けやすく、剥落や汚れ等が目立ちます。
↑平成30年5月10日撮影
↑令和2年11月16日撮影
今後も文化財としての価値を維持し、後世にその技術を伝えていくためにも、定期的な修理を続けていくことが求められます。
11月17日、文化庁は宮大工や左官職人ら匠が継承する「伝統建築工匠の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」について、ユネスコの評価機関が無形文化遺産に登録するよう勧告したと発表しました。「伝統建築工匠の技」は全17分野で構成され、その中には彩色や漆搔きなども含まれています。
茅葺や漆喰壁などは現代では珍しくなり、生活様式の変化による需要の減少や、海外からの安価な輸入漆による国産漆の生産の減少など、日本特有の伝統建築の技術の継承には多くの課題があります。また、職人の高齢化や後継者不足も深刻化しています。登録を機に、後継者育成のための
環境づくりの一層の高まりと伝統技術の後世への継承促進に期待したいです。
国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」一般公開 報告 [建造物]
市政宅配講座「熊谷歴史たてものレビュー」【熊谷市立大麻生公民館】動画配信 [建造物]
コロナ禍の前、熊谷市立大麻生公民館で開催した市政宅配講座「熊谷歴史たてものレビュー」について撮影した動画をYouTubeにおいて配信公開しています。国宝「歓喜院聖天堂」をはじめ国登録有形文化財など数多くの歴史的建造物が所在する熊谷。その魅力についてお話をしました。ご参照ください。
熊谷の名工の足跡を辿るー箭弓稲荷神社ー [建造物]
箭弓稲荷神社は、埼玉県東松山市に所在し、東武東上線東松山駅から徒歩3分ほどのところにあります。創建は古く和同5年(712)と伝えられ、歴代松山城主や川越城主からの崇敬が厚く、江戸時代には庶民にも広く信仰されました。
社殿は、本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造で、天保6年(1835)に造営されたといわれています。
拝殿の彫刻を手がけたのは、飯田仙之助です。飯田仙之助は上州花輪村(現在の群馬県みどり市)で生まれ、大里郡川原明戸村(現在の熊谷市川原明戸)に移住して活躍した人物です。飯田家は、国宝・歓喜院聖天堂の彫刻を手がけた彫刻師・石原吟八郎のもとで修業を行ったともいわれています。
拝殿向拝、水引虹梁上の目貫龍
拝殿の海老虹梁と手挟み
柱の地紋彫にも龍が彫られています。
また、本殿の彫刻を手がけたのは小林源八正信です。小林源八正信は、幡羅郡玉井村(現在の熊谷市玉井)に住み、初代小林源八を名乗りました。花輪村の石原吟八郎を継いだ2代目石原吟八に師事したといわれています。初代小林源八を継いだ2代目小林源太郎は「関東の名工」と称され、榛名神社双龍門など多くの作品を後世に残しています。
箭弓稲荷神社は、県指定有形文化財となっています。
本殿花頭窓の二龍
本殿縁の下持ち送りの龍
本殿大羽目彫刻の仙人たちが囲碁に興じる様子
社殿の周りには、説明板が設置され彫刻の題材についてわかりやすく解説されています。
社殿は、本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造で、天保6年(1835)に造営されたといわれています。
拝殿の彫刻を手がけたのは、飯田仙之助です。飯田仙之助は上州花輪村(現在の群馬県みどり市)で生まれ、大里郡川原明戸村(現在の熊谷市川原明戸)に移住して活躍した人物です。飯田家は、国宝・歓喜院聖天堂の彫刻を手がけた彫刻師・石原吟八郎のもとで修業を行ったともいわれています。
拝殿向拝、水引虹梁上の目貫龍
拝殿の海老虹梁と手挟み
柱の地紋彫にも龍が彫られています。
また、本殿の彫刻を手がけたのは小林源八正信です。小林源八正信は、幡羅郡玉井村(現在の熊谷市玉井)に住み、初代小林源八を名乗りました。花輪村の石原吟八郎を継いだ2代目石原吟八に師事したといわれています。初代小林源八を継いだ2代目小林源太郎は「関東の名工」と称され、榛名神社双龍門など多くの作品を後世に残しています。
箭弓稲荷神社は、県指定有形文化財となっています。
本殿花頭窓の二龍
本殿縁の下持ち送りの龍
本殿大羽目彫刻の仙人たちが囲碁に興じる様子
社殿の周りには、説明板が設置され彫刻の題材についてわかりやすく解説されています。
荻野吟子生家長屋門 [建造物]
日本の女医第一号として知られる荻野吟子は、利根川に近い熊谷市俵瀬に生まれました。俵瀬には、吟子に関連する資料を展示した記念館と史跡公園が整備されています。この記念館のモチーフとなったのが、吟子の生家にあった長屋門です。利根川を挟んですぐ隣りの群馬県千代田町には、荻野吟子生家の長屋門が移築されています。
熊谷から利根川の向こう側には、赤岩渡船場から渡し船に乗っていきます。
千代田町の渡船場から、徒歩5分ほどで、長屋門が移築されている光恩寺にたどり着きます。
山門をくぐると正面に本堂、右手に長屋門があります。長屋門は、明治時代に光恩寺に移築されました。平成11年に国の登録有形文化財に指定され、平成13年から15年にかけて保存修理工事が行われています。
すぐそばには、長屋門の復元を記念して建てられた吟子像が建っています。
光恩寺には、このほかにも多くの文化財が残されています。
「地蔵菩薩板碑」日本最古の地蔵板碑のひとつで県指定重要文化財となっています。
本堂脇の庫裏は、長屋門と同じく平成11年に国の登録有形文化財となっています。
奥に進むと、県指定重要文化財「阿弥陀三尊像」が安置されている阿弥陀堂や町指定重要文化財の鐘楼を見ることができます。
境内に、季節外れの桜が咲いていました。秋から冬にかけて開花する十月桜のようです。夏も終わり、涼しく過ごしやすい季節になってきました。ちょっとしたお出かけに身近な文化財に触れてみてはいかがでしょうか。
熊谷から利根川の向こう側には、赤岩渡船場から渡し船に乗っていきます。
千代田町の渡船場から、徒歩5分ほどで、長屋門が移築されている光恩寺にたどり着きます。
山門をくぐると正面に本堂、右手に長屋門があります。長屋門は、明治時代に光恩寺に移築されました。平成11年に国の登録有形文化財に指定され、平成13年から15年にかけて保存修理工事が行われています。
すぐそばには、長屋門の復元を記念して建てられた吟子像が建っています。
光恩寺には、このほかにも多くの文化財が残されています。
「地蔵菩薩板碑」日本最古の地蔵板碑のひとつで県指定重要文化財となっています。
本堂脇の庫裏は、長屋門と同じく平成11年に国の登録有形文化財となっています。
奥に進むと、県指定重要文化財「阿弥陀三尊像」が安置されている阿弥陀堂や町指定重要文化財の鐘楼を見ることができます。
境内に、季節外れの桜が咲いていました。秋から冬にかけて開花する十月桜のようです。夏も終わり、涼しく過ごしやすい季節になってきました。ちょっとしたお出かけに身近な文化財に触れてみてはいかがでしょうか。