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源宗寺本堂保存修理事業 建築小委員会 [その他]

 5月20日、市内平戸の源宗寺にて、保存修理委員会・建築小委員会の細川末廣一級建築士、内島章雄一級建築士、施工を担当する大島工務店、江南文化財センター担当職員2名で打ち合わせを行いました。
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 本堂の基礎状況の確認に加え、今後のスケジュールなどについて協議しました。来月22日(火)には、関係者のみで上棟式を執り行う予定です。


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聖火をふたたびムーブメント展示 [その他]

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熊谷市役所で「聖火をふたたびムーブメント」企画展示が5月20日までの予定で行われています。1964年の東京オリンピックの際に熊谷は聖火リレーのルートとなり、大変に盛り上がりを見せたといわれています。その記憶を今回の東京五輪パラリンピックに向けて紹介する取り組みが各地で行われており、展示が企画されました。熊谷市教育委員会の野原晃教育長は、当時、熊谷高校の陸上競技部に所属し、聖火リレーの走者として参加しました。その際に掲げたトーチも展示されています。今後、展示は市内外で予定されており、同実行委員会が発信をしていくそうですので、ご参照ください。現在、コロナ禍で東京五輪パラリンピックの開催について賛否ありますが、このような事態そのものも歴史の中での記憶として語り継がれていくことと思います。

2019年7月 毎日新聞の関連記事
https://mainichi.jp/articles/20190702/ddl/k11/050/047000c


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源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況 [その他]

 先月末から、基礎工事に着工した市内平戸の源宗寺では、着々と工事が進められています。
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 コンクリートの流し込みまで進んでいました。奥の少し高くなっている部分が仏像が安置される内陣部分、手前の低い部分がお参りに来た人がお祈りをする外陣部分です。
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(倉庫に搬入された旧本堂の虹梁)
 また昨日、施工を担当する大島工務店にご協力いただき、屋外で一時保管していた虹梁を倉庫に搬入しました。この虹梁は、旧本堂の向拝部分に使われていたものです。旧本堂の解体時に、保存のため取り外しましたが、あまりに大きく運ぶのが困難であったため、これまで、境内屋外にてブルーシートをかぶせた状態で一時保管していました。ここのところ、天気の優れない日が続いており、木材の腐食が心配されたため、大島工務店にお願いをして運んでいただきました。
 先週、大島工務店に伺った際には、既に新本堂に取り付ける新たな虹梁も出来上がっていました。
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(新たな虹梁)
 

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「上尾の摘田・畑作用具」紹介展示 上尾市図書館 [民俗]


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 本年3月、国重要有形民俗文化財に指定された「上尾の摘田・畑作用具」に関する紹介展示が、上尾市図書館2階ロビーで行われています。「上尾の摘田・畑作用具」は、上尾市域の台地部において、稲の直播(じかま)き栽培である「摘田(つみた)」と、麦やサツマイモなどの畑作に使用された総数750点からなる農耕用具のコレクションです。昭和50年代から上尾市教育委員会が収集を進めてきたもので、稲作や畑作の一連の作業に使用された用具が網羅されています。上尾市教育委員会の解説によると、この資料群は、台地上の農業経営や畑作地域における稲作の地域的な様相を知ることができるコレクションであり、日本の稲栽培や農耕文化を理解する上で特に重要であると評価を受け、国指定重要有形民俗文化財となったとのことです。お近くを訪れた際はご参照ください。

「上尾の摘田・畑作用具」解説ページ(上尾市ホームページ)
https://www.city.ageo.lg.jp/site/iinkai/064121011501.html






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「熊谷ひみつ新聞」熊谷市役所ロビー企画展示 [普及事業]


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現在、熊谷市役所本庁舎1階ロビー北側で、熊谷青年会議所の子ども向け広報誌「熊谷ひみつ新聞」の企画展示が開催されています。今まで刊行された「熊谷ひみつ新聞」の掲示と、残部があるバックナンバーの配布が行われています。5月20日までの予定で展示されています。各新聞内には江南文化財センターが協力監修した記事も多くあります。熊谷青年会議所のホームページにはPDFデータが公開されています。どうぞご参照ください。また、熊谷デジタルミュージアム内にも「熊谷ひみつ新聞」の特設ページを準備中です。引き続き情報発信を進めていきたいと思います。



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長島記念館とポピー [花]


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熊谷市小八林にある熊谷市名勝「長島記念館・邸宅」の長屋門前では、ポピーが見頃を迎えています。白壁の塀と石蔵、そして新緑の木々と鮮やかなポピーのコントラストがとても美しいです。どうぞ、お楽しみください。





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遺物整理の現場から 寺内廃寺出土「灯明皿」 [整理作業]

 寺内廃寺の灯明皿は復元できる坏や碗でその数は500点ほどを数え、復原の難しい細片では千数百点に及ぶでしょう。これらの灯明皿に残る灯芯痕を見ると、1か所から何か所も残る場合があり使用状態が異なっていたと考えられる例があります。集落で使用されることの多い須恵器坏や須恵器碗から転用と思われる灯明皿も多数見つかるなかで、数回程度の使用しか認められない灯明皿は、特別な場所か特別な法会などに使用されたとも想定されます。
 以下の写真は、油分とススの固着分部で、灯芯の位置が白抜けした状態で観察されます。
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遺物整理の現場から 寺内廃寺出土「灯明盤」の「文字」2 [整理作業]

 写真の土器は寺内廃寺出土灯明盤の「刻書土器」例の二例目です。2点出土していますが、読むことができませんので、示す意味が図りかねます。「上」「ハ」または、「一」「六」の合字でしょうか。それとも記号なのでしょうか。「赫坏」の文字と同筆のように思われ、一応文字と考えますがお気づきの方はぜひご教示ください。「赫坏」と同様に坏内底面にヘラ書きされています。
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寺内廃寺出土刻書土器
 なお、字画で類似する例では本遺跡より2km内の宮下遺跡より「卜之」の合字と推定される墨書が5点出土しています。異なるように見えるのですが字配・表記・5画と共通する点もあり、注目しています。
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宮下遺跡Ⅲ出土墨書土器

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遺物整理の現場から 寺内廃寺出土「灯明盤」の「文字」1 [整理作業]

 寺内廃寺から日々の燃燈や法会に使われた灯明盤に文字が残されている資料を前回(出土瓦に残る文字1「郡名瓦―その1」)までに墨で書かれた「墨書土器」として紹介しましたが、今回は「ヘラ書き」された例を取り上げます。
 この文字資料は「刻書土器」と呼びます。本例刻書は土器を焼く前に書かれた文字で、文字の内容によって土器の性格付けがなされたことがわかります。このことは、共通する形、共通する特徴を持った寺内廃寺出土の土器は「灯明盤」として造られた可能性が高いと考えられることです。他の灯明盤では須恵器坏や碗、蓋も使用されていましたが、これらは転用品で本来はそれぞれの用途に使われる日用什器のうつわです。寺内廃寺の灯明皿は専用品は「灯明盤」、転用品は「灯明皿」と区別できると考えています。
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写真「赫坏」のヘラ書文字 灯明盤の内・側・底面

 この「灯明盤」の内底面には「赫坏」の文字がヘラ書きされ、「かくはい」と読むことができます「赫」は「ひかりかがやく」という意味と考えられ、灯明盤にふさわしい文字だと思います。この形をした灯明盤は一定の数が認められることから、寺院内での常用品とも考えられる一方、特別な法会のために特注されたとも推定されます。須恵器坏・碗などの日用什器のうつわは不足分として臨時的に使用されたと考えることもできます。まだ観察と検討が必要な状況にあります。
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遺物整理の現場から 土器に残る刻み目 [整理作業]

 古代の土器は完全な形で出土することは稀です。もともと衝撃に弱い土器は壊れやすく、日常使いの消耗品でしたから、発掘される土器は時代を遡るほど風化し、僅かの破片しか残らなくなります。完全な形を残す土器は大変貴重で稀な例ともいえます。
 そんな土器の小破片でも時代を特定できる資料となることから、整理を進めるうえで土器の観察を詳細に行っています。写真は寺内廃寺の東院集落に重なる縄文時代中期の集落跡から出土した貯蔵用の深鉢形の土器片です。粘土紐を巻き上げる方法で造られた鉢の胴部の一片です。粘土を重ねて接着した部分が平坦な凹凸となっていることが多い中で、写真の破片には刻み目が施されています。これは模様ではなく、粘土同士の接着をより強固にするためになされた工夫で、現在でも見る陶芸の基本技法です。偶然この接合部分で剥離したらしく縄文人の土器の作り方法を知ることができました。
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接合部にいれた刻み目
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刻み目に入り込んだ粘土の膨らみ
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粘土ひもの痕跡を残す凹凸状の剥離面

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