SSブログ

聖火をふたたびムーブメント展示 [その他]

227405A9-9B0C-49FA-BEED-71A2DC4EB948.jpeg

熊谷市役所で「聖火をふたたびムーブメント」企画展示が5月20日までの予定で行われています。1964年の東京オリンピックの際に熊谷は聖火リレーのルートとなり、大変に盛り上がりを見せたといわれています。その記憶を今回の東京五輪パラリンピックに向けて紹介する取り組みが各地で行われており、展示が企画されました。熊谷市教育委員会の野原晃教育長は、当時、熊谷高校の陸上競技部に所属し、聖火リレーの走者として参加しました。その際に掲げたトーチも展示されています。今後、展示は市内外で予定されており、同実行委員会が発信をしていくそうですので、ご参照ください。現在、コロナ禍で東京五輪パラリンピックの開催について賛否ありますが、このような事態そのものも歴史の中での記憶として語り継がれていくことと思います。

2019年7月 毎日新聞の関連記事
https://mainichi.jp/articles/20190702/ddl/k11/050/047000c


nice!(0)  コメント(0) 

源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況 [その他]

 先月末から、基礎工事に着工した市内平戸の源宗寺では、着々と工事が進められています。
7B22245D-B8CD-44F3-A797-7FC4DC66F210.jpeg
 コンクリートの流し込みまで進んでいました。奥の少し高くなっている部分が仏像が安置される内陣部分、手前の低い部分がお参りに来た人がお祈りをする外陣部分です。
D02634F9-B058-4918-8D89-BE7A60F4820C.jpeg
(倉庫に搬入された旧本堂の虹梁)
 また昨日、施工を担当する大島工務店にご協力いただき、屋外で一時保管していた虹梁を倉庫に搬入しました。この虹梁は、旧本堂の向拝部分に使われていたものです。旧本堂の解体時に、保存のため取り外しましたが、あまりに大きく運ぶのが困難であったため、これまで、境内屋外にてブルーシートをかぶせた状態で一時保管していました。ここのところ、天気の優れない日が続いており、木材の腐食が心配されたため、大島工務店にお願いをして運んでいただきました。
 先週、大島工務店に伺った際には、既に新本堂に取り付ける新たな虹梁も出来上がっていました。
29F11E4C-72AA-4F6E-8223-1AEB79555398.jpeg
(新たな虹梁)
 

nice!(0)  コメント(0) 

源宗寺本堂保存修理事業 進捗状況 [その他]

 建築確認申請のため、しばらくの間、工事を中断していた源宗寺本堂の建築ですが、先週認可が下り、本日から基礎工事が始まりました。
87B2E681-22A7-4404-A3B1-C0948D06B047.jpeg
 工期は、今年いっぱいを予定しています。今から、本堂の完成が楽しみです。
 6月には、新型コロナウイルス感染拡大防止に配慮して、関係者のみで上棟式を行う予定です。


nice!(0)  コメント(0) 

「青天を衝け」と熊谷宿小松屋旅館 [その他]

80A39A10-F720-4F2E-AE78-EC8204899D1D.jpeg
安政6年(1859)刊行の「根本山参詣飛渡里」に描かれた小松屋旅館

0BEA3438-14D1-4D34-BEC8-170E1454257D.jpeg
矢野玄民『熊谷旧繁昌詞』(日下部朝一郎『熊谷人物事典』から)

 NHK 大河ドラマ「青天を衝け」第11回 「横濱焼き討ち計画」の冒頭、江戸に向かおうとしていた尾高長七郎に追いつき、老中・安藤を襲った河野が命を落とし、これに連座したものを幕府が探していると伝えるシーンがありました。その舞台となった旅籠が長七郎の定宿となっていた熊谷宿の小松屋旅館でした。
 この小松屋旅館は熊谷宿の上宿と呼ばれる現在の熊谷市本町1丁目に所在した旅籠で、安政6年(1859)刊行の「根本山参詣飛渡里」や、後の明治26年に書かれた矢野玄民『熊谷旧繁昌詞』にも記されています。深谷の血洗島から熊谷宿まで約15キロの距離がありますが、ドラマでは渋沢栄一が長七郎に追いつくために駆け抜けた様子が描かれていました。熊谷宿と渋沢栄一のつながりを垣間見るシーンであったといえます。現在、小松屋旅館が所在していた場所には、銀行などの店舗があります。




nice!(0)  コメント(0) 

源宗寺本堂保存修理事業進捗状況 [その他]

 令和3年4月17日(土)、物置と工程の確認のため、源宗寺本堂の施工を担当する大島工務店に伺うと、獅子の木鼻彫刻がすでに出来上がっていました。木材は欅を使用し、力強い彫あがりです。
9E28DCB2-F671-4F89-BF4D-E9CC78587A42.jpeg
B1464775-05E5-46F4-9F6D-20A86DE219DC.jpeg
こちらは、向拝部分の正面向かって右側の柱上部に設置予定です。
 ようやく今月末から、基礎工事に取り掛かります。本堂の出来上がりが今から楽しみです。


nice!(0)  コメント(0) 

第19回源宗寺本堂保存修理委員会 [その他]

 4月15日(木)、市内平戸の老人憩いの家平戸荘にて第19回源宗寺本堂保存修理員会が開催されました。委員会メンバーが集まるのは、令和3年2月2日の地鎮式以来、約2か月ぶりとなります。
82107B56-F5E9-43CF-BE39-AF4003612EF2.jpeg
 会議では、建築確認申請の進捗状況の報告や仏像修復に関する協議、棟札の作成などについて話し合いました。
 当初は、像の内部補強など必要最低限の修理を見込んでいた仏像修復ですが、昨年12月の大移動やその後の調査の結果、予想以上に像の重量が重く、現状のままでの搬入が非常に困難であることが判明し、前回会議で修復時に像を2分割し、像の全面的な修理を行う方針となりました。
 これまで、本堂建て替えのために寄付などを募って資金調達をしてきましたが、ここにさらに仏像修復のための費用がかさむこととなり、費用の工面が非常に大きな課題です。
 また、建築確認申請のためしばらくの間、工事を中断していた本堂の建て替えですが、今月中には許可が下り、4月下旬より基礎工事に取り掛かる予定です。上棟は5月下旬を予定しています。
 「平戸の大ぼとけ」をさらに広く多くの方に知ってもらうために、より一層情報発信にも力を入れていきたいと思います。

nice!(0)  コメント(0) 

江南文化財センター屋根樋管の清掃 [その他]

40548FCA-ED33-4E10-922B-9292B7694895.jpeg

2月25日、江南文化財センターの屋根樋管の清掃が行われました。センターの南側には暴風保安林が広がり、落葉樹の落ち葉が屋根付近に堆積することが多く、樋管が詰まりやすくなっています。そのため定期的な清掃が必要となり、専門業者が高所作業車を用いてジェット水などを吹きかけて作業しました。江南文化財センターは北側に窓があり、北からの自然光が室内に入る「ノースライト」の構造となっています。南側の森と北側の正面風景という構図で珍しいかも知れません。そんなことからも、今回のような作業も感慨深く考えてしまうところです。






nice!(0)  コメント(0) 

集福寺と青天を衝け [その他]

B68049BE-F916-47AF-BE61-F18AD05E15E0.jpeg
 市内下奈良にある集福寺は、江戸時代末期から明治時代にかけて、この地の名主として土木民生の事業につくした慈善事業家・吉田市右衛門の菩提寺として知られています。
4E7747B6-2FB8-4231-AD04-EEDF691F2DB8.jpeg
 吉田市右衛門墓

 文久3年(1863)、薩英戦争でイギリスの捕虜となった五代友厚が幡羅郡四方寺村(現在の熊谷市四方寺)の吉田六左衛門家に逃れ匿われた際、吉田市右衛門とも交流しました。
 五代友厚は、薩摩藩に生まれ、大阪の経済復興に貢献した実業家として有名です。1867年に開催されたパリ万国博覧会に薩摩藩として参加し、このとき幕府の一員として参加していたのが渋沢栄一でした。後に、渋沢栄一と並び「西の五代、東の渋沢」と称されました。
 今後、NHK大河ドラマ「青天を衝け」での五代友厚の登場にも注目したいです。

nice!(0)  コメント(0) 

第18回源宗寺本堂保存修理委員会 [その他]

 2月2日(火)、源宗寺本堂「地鎮式」終了後、平戸荘にて第18回源宗寺本堂保存修理委員会が開催されました。議題では仮建屋に移動した仏像の今後の修繕方法や、現在手続きを進めている建築審査等の進捗状況について話し合いました。工事の本格的な開始に向けて準備を続けていく予定です。
1593E198-378B-46E9-89D2-8045B14709BB.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

源宗寺本堂保存修理事業 進捗情報 [その他]

 1月28日、源宗寺本堂の改修に伴う熊谷市の関係機関との調整を行いました。
 源宗寺本堂の保存修理事業において、旧来部材の再利用が困難であることが分かり、一部の部材の保存などを除き、建て替えとして概ね新築の形態となることから、開発審査や建築確認に関する諸手続きが必要となります。今回の事業においては、開発に関する「適合証明」という許可と、建築構造の法令的な妥当性を確認するための建築確認の関連申請事務を行うことになりました。
089D7DF8-5BED-4D6D-9B47-408A946E7450.jpeg
 今回の調整では、建築小委員会のメンバーと、熊谷市の開発審査課及び建築審査課職員、開発に関連した雨水の処理管理棟の要件の確認のため河川課職員が同席しました。調整では必要書類の確認や提出図面における留意点などを話し合いました。
 12月以降の解体時、部材等の保存が芳しくなく再利用が困難であることが再確認できたことに伴い、新規建築としての申請が必要であると判断し、申請書類の提出を準備しています。これによって2月上旬の着工予定を計画変更し、3月中の着工に向けて工程表の練り直しを進めています。しかしながら、今回のような新たな事務手続きの追加などの状況も加味した上での計画であることから、本年11月頃の完工については予定通りとなる見込みです。




nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。