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展示替えお知らせ [展示]

 4月6日(月)〜9月30日(水)の会期で、江南文化財センターロビーにて、諏訪木遺跡出土遺物(中世)展を行っています。

 諏訪木遺跡は、熊谷市の中央東部、上之地区に所在する遺跡です。
 平成5年〜現在まで調査が行われ、縄文時代の後・晩期、弥生時代の中・後期、平安時代、中世、近世まで数多くの遺構がみつかり、そこからは大量の遺物が出土しています。
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 今回は、これまでに調査された遺跡の中でも特に中世の遺構、遺物に的を絞って展示を行っています。
 9月いっぱいまで開催しておりますで、お近くにお越しの際は、お立ち寄りください。

展示期間:令和2年4月6日(月)〜9月30日(水)
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:土・日曜日、祝日
入場料:無料
場所:熊谷市立江南文化財センター(熊谷市千代329番地)

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江南文化財センター・ロビー展示「諏訪木遺跡」準備中 [展示]


江南文化財センターのロビーにあるブースにて企画展「わが街熊谷遺跡めぐり―諏訪木遺跡」の展示準備を行っています。展示は本年9月末までを予定しています。展示内容の詳細はおってご報告します。


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展示準備風景

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土器類の展示


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熊谷市名勝「星溪園」企画展「屏風の文化史―犀東と出雲―漢詩人・国府犀東と出雲の文化交流をめぐって​」 [展示]

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熊谷市名勝「星溪園」積翠閣ギャラリーにおいて、大正時代に史蹟​名勝天然記念物保存法の制定に関わった漢詩人・国府犀東の揮毫漢​詩が含まれる屏風を初公開します。加えて、俳人・河​東碧梧桐の揮毫俳句を含む屏風を併せた2点を特別公開しています。

とき:令和2年3月1日(日)〜4月26日(日)
     午前9時〜午後5時(休園日:毎週月曜日)
ところ:星溪園積翠閣ギャラリー(熊谷市鎌倉町32) 入場無料

概要:
1919年の史蹟名勝天然記念物保存法の制定に関わり国内​の文化財記念物保存の基礎を作った国府犀東(1873-1950​)の漢詩や出雲大社神職・北島斉孝の書などを含む屏風(六曲一双​屏風H137×W280cm)を初公開します。国府が出雲の日御​碕(ひのみざき)を訪れた際に詠んだ漢詩をはじめ、国府と出雲大​社の影響関係を知ることができる内容です。加えて、俳人・河東碧​梧桐の俳句短冊などを含む屏風を合わせた2点の屏風を特別展示し​ます。

解説:国府犀東(こくぶ さいとう 明治6年(1873年)2月 - 昭和25年(1950年)2月27日)
戦前日本の記者、官僚、漢詩人。石川県金沢市出身。新聞記者を務​めた後、内閣、宮内省、文部省等で地方改良運動、近代社格制度、​1919年の史蹟名勝天然記念物保存法の制定などの文化財行政に​関わった。また慶應義塾大学予科、旧制東京高等学校で漢文を講義​した。『犀東文集』『龍吹鶴語』等の著作がある。号は金沢西部を​流れる犀川の東畔に生まれたことに由来する。対岸で生まれた室生​犀星はこれを受けて犀西の意で犀星と名乗ったといわれている。今​回初公開される屏風は、昭和時代初期から熊谷市中奈良の稲荷神社​に伝来していた色紙類を屏風に貼付したものと推定され、現在は星​溪園で保管している。


問合せ:江南文化財センター 電話048-536-5062



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群馬県立歴史博物館 第13回テーマ展示『くらしのうつりかわり2』 [展示]

群馬県立歴史博物館にて第13回テーマ展示『くらしのうつりかわり2』を開催しています。
どうぞご観覧ください。


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■開催概要(群馬県立歴史博物館サイトより)

みなさんの家には、テレビや洗濯機などスイッチひとつで動く便利な機械がたくさんありますね。でも、昔は、ごはんをたくのも洗濯をするのも、ほとんど人の力でしていました。さまざまな道具を使い、季節に合わせて上手に道具をつかいわけて生活してきました。そして、くらしをより便利に豊かにしたいと願い、さまざまな工夫を積み重ねて、新しい道具がつくられてきたのです。この展示室には、おもに昭和の時代に生活の中で使われた道具を展示しています。昭和から平成にかけて人々のくらしは大きくかわってきました。みなさんのおじいさんやおばあさん、また、お父さんやお母さんが子どもだったころは、どのような道具を使って生活していたのでしょうか。 少しの間、時計の針を巻き戻して当時のくらしをのぞいてみましょう。みなさんも、道具をよく見たり、さわって動かしたりして、昭和のくらしを感じてみてくださいね。


■展示期間

2019年12月14日(土)~2020年2月24日(月・振休)
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■休館日

毎週月曜日
※ただし1/13・2/24は開館、12/28~1/3・1/14は休館


■観覧料

常設展示料金でご覧いただけます。


■同時開催
令和元年度特別収蔵品展『日本画の美』
【会期】2020年1月4日(土)~2月24日(月・振休)
【観覧料】一般300円/高大生150円/中学生以下無料  ※常設展示観覧料でテーマ展示も観覧できます。





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埼玉県立近代美術館「ニューヨーク・アートシーンー滋賀県立近代美術館コレクションを中心に」 [展示]

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埼玉県立近代美術館にて、「ニューヨーク・アートシーン-ロスコ、ウォーホルから草間彌生、バスキアまで-滋賀県立近代美術館コレクションを中心に」が開催されています。開催概要は次のとおりです。どうぞご観覧ください。


会期
2019年11月14日 (木) ~2020年1月19日 (日)
休館日:月曜日(1月13日は開館)および12月27日~1月3日

開館時間
10:00 ~ 17:30 (入場は17:00まで)

観覧料
一般1200円(960円)、大高生960円(770円) 
※( ) 内は20名以上の団体料金。
※中学生以下、障害者手帳等をご提示の方 (付き添いの方1名を含む) は無料です。
※併せてMOMASコレクション (1階展示室) もご覧いただけます。

主催 埼玉県立近代美術館
特別協力 滋賀県立近代美術館
助成 一般財団法人 地域創造
協力 JR東日本大宮支社、FM NACK 5

詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=415




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川越市立博物館 企画展「北武蔵剣術物語」 [展示]


川越市立博物館 企画展「北武蔵剣術物語」が開催されています。
熊谷からは市指定無形民俗文化財「上川原神道香取流棒術」と大里の根岸家で継承された北辰一刀流などの展示が出陣。江南文化財センターは資料提供などの協力をしました。
秋の川越散策と合わせてお楽しみください。

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第47回企画展 北武蔵剣術物語-川越藩剣術師範大川平兵衛とその時代-
川越藩剣術師範、大川平兵衛と県内の諸流派についての展示

会 期:10月12日(土)~11月24日(日)
休館日:11月22日(金)
会 場:博物館 特別展示室
費 用:入館料(一般200円 高校・大学生100円 中学生以下無料)



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展示替えのお知らせ [展示]

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第24回「中西遺跡」 第25回「中条中島遺跡」

 江南文化財センター、ロビーの展示替えを行いました。来年3月末まで展示しています。ぜひご覧ください。二つの小ケースはいずれも「わが街熊谷遺跡めぐり」の第24回と第25回になります。
 第24回は平成21年(2009)に発掘調査を行った「中西遺跡」から縄文時代の遺物、主に後期の土器石器を展示しています。加曾利B2式から安行3式までの深鉢・鉢・注口土器・異形土器を展示しました。現在は市街地の中心部に埋もれている遺跡ですが、およそ3500年以前に市域にあった祖先の暮らしの跡を知っていただきたいと思います。
 第25回は平成29年(2017)に発掘調査を行った「中条中島遺跡」から古墳時代の遺物のうち、主に製鉄関連遺物を展示しました。古墳時代前期の鉄器製作遺跡の確認は少なく貴重な発見です。展示では、ふいごの羽口破片や鉄滓と呼ぶのこりかすなど鍛冶を証する遺物と出土土器(4世紀末)を出しています。同時期の製鉄遺跡、行人塚遺跡からも羽口転用の高坏や鉄滓、鉄槌などを併せて展示しています。
 熊谷地方での鉄器生産は、沖積地や台地域の本格的な開発進展を裏付ける資料です。

【展示パンフ】
テーマ展24-中西遺跡-「わが街熊谷遺跡めぐり」縄文時代後・晩期 遺物包含層編(PDF:5.7MB)

テーマ展25 埼玉(さきたま)古墳群の成立を支えた産業集落の発見 「わが街熊谷遺跡めぐり」-「中条古墳群、中条中島遺跡の製鉄遺構」-(PDF:984KB)
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碧梧桐屏風の展示 [展示]


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正岡子規の高弟として高浜虚子と並び称され、俳句革新運動の代表的人物として知られる河東碧梧桐。この屏風には、書画や紙面などが貼り込まれ、河東碧梧桐の筆跡として、揮毫の「碧」が記されています。その他について調べたところ、作家・児童文学者の巌谷小波、日本画家の冨田溪仙、画家の小川千甕、俳人の中塚一碧楼、俳人の中塚響也などが記した書面を確認することができました。特に碧梧桐の独特の書跡が印象的であるといえます。先日、特別公開と講演会を終えて、熊谷市鎌倉町の熊谷市名勝「星溪園」の星溪寮玄関にて公開しています。ご来場の際は、ご参照ください。



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講座「碧梧桐と熊谷の文化史―現代俳句の系譜と民芸店「工藝」の文化振興―」 [展示]

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 2019年9月23日、熊谷市名勝「 星溪園」の積翠閣において、俳壇史を学び楽しむ in 星溪園 熊谷青年会議所クールシェア版街なかゼミナール 「碧梧桐と熊谷の文化史―現代俳句の系譜と民芸店「工藝」の文化振興―」を開催しました。会場では河東碧梧桐が揮毫した短冊を含む屏風を特別公開しました。屏風を前に、河東碧梧桐の俳句論などをはじめ金子兜太俳句との関わりなどについてギャラリートーク風に講演しました。また屏風をかつて所有していた熊谷市本町の民芸品店「工藝」に着目し、1980年代から2000年代まで続けられた文化発信について、その熊谷の文化史とともに紹介しました。約20名が受講され、碧梧桐らの貴重な書画を集めた屏風に大きな関心を集めていました。





河東碧梧桐が揮毫した短冊の概要


将軍も見ゆ鳥葬や冷かに


大空を 仰ぐ目の
百姓の菊に散りつつ
大典奉祝 碧


啓 よくよく病気に
親しい君です 
お互いに御無沙汰してをるから無事だと
思ふてをるとかういふ事がある
十分ご静養ありたし
六月十六日 碧

(改行、筆者)


人物解説

河東碧梧桐(かわひがしへきごとう) (1873-1937)

明治6年(1873)2月26日、愛媛県松山市千舟町(旧温泉郡千舟町)に朱子学派の学者で、藩学明教館の教授である父・河東坤(したがう)(号・静溪)の五男として生まれる。本名は秉五郎。日本の俳人・随筆家。 伊予尋常中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、第三高等学校入学の後、第二高等学校(現・東北大学)中退。中学時代から正岡子規に兄事、高浜虚子とともに子規門の双璧をなした。
 子規没後、新聞「日本」の俳句欄の選者を子規より継承した。明治39年に全国俳句行脚を開始、新傾向俳句運動をすすめる。中塚一碧楼らと大正4年『海紅』を創刊、自由律俳句を示す。『八年間』『三千里』『碧梧桐句集』などがある。大正12年「碧」、14年「三昧」を創刊。昭和8年(1933)還暦祝いの席上で俳壇からの隠退を宣言した後、昭和12年(1937)2月1日に東京にて没した。

小川千甕(おがわせんよう) (1882-1971)
明治15年10月3日生まれ。本名は多三郎。仏画師の北村敬重の弟子となり、その後、浅井忠に洋画を学ぶ。明治時代末、28歳で東京へ転居し、『ホトトギス』などに挿絵、漫画を発表して人気を博した。更に大正2年には渡欧し、印象派の巨匠ルノワールと面会した。帰国後は日本美術院に出品し、本格的な日本画家として活躍。大正4年、川端竜子、小川芋銭らと「珊瑚会」を結成。油絵から日本画へ移行し院展に「田面の雪」「青田」などを出品。昭和7年、日本南画院に参加。昭和46年2月8日死去。88歳。京都出身。代表作に「炬火乱舞」などがある。


中塚一碧楼(なかつかいっぺきろう) (1887―1946)
岡山県玉島(現倉敷市)に生まれる。本名、直三。岡山中学在学中にキリスト教の洗礼を受けている。明治40年(1907)、上京し早稲田大学商科入学、飯田蛇笏らの早稲田吟社に入り『国民新聞』俳句欄に投句し、当時の自然主義文学思潮の影響を受けた。明治41年より河東碧梧桐選「日本俳句」(雑誌『日本及日本人』俳句欄)に投句、新傾向作家として頭角を現し、明治42年には新傾向の中心作家となった。翌年、選者否定の俳誌『自選俳句』を、早大文科に再入学した際には『試作』を、大正1年には『第一作』(『試作』改題)を創刊して個性的な口語自由律の作を発表した。大正4年、碧梧桐とともに『海紅』を創刊し、碧梧桐が去ってからは同誌を主宰して『層雲』と並んで自由律俳句の流れを形成した。作風は初め頽唐風(たいとうふう)の傾向があり、その後は清新平明な叙情風に移った。句集に『はかぐら』(1913)、『一碧楼句抄』(1949)などがある。

冨田溪仙(とみたけいせん)(1879-1936)
明治12年12月9日、福岡県博多に生まれる。本名は鎮五郎(しげごろう)。字は隆鎮。別号に雪仙、溪山人など。明治から昭和初期に活躍した日本画家。初め狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。冨田家はかつて福岡藩の御用を務め、溪仙が生まれた頃は麹屋町(現在の博多区川端)で素麺製造業を営んでいた。福岡藩御用絵師だった衣笠守正(探谷)に狩野派を学んだ後、京都に出て四条派の都路華香に師事。後に仙厓義梵、富岡鉄斎に傾倒。各地を旅し幅広い研鑽を積む。横山大観の薫陶を受け、大正4年日本美術院同人。昭和10年帝国美術院会員となる。京都で死去。俳人河東碧梧桐や、駐日フランス大使であった詩人のポール・クローデルとの交遊が知られている。

中塚響也(なかつかきょうや)(1888-1945)
岡山県玉島町で生まれる。本名、謹太郎。俳人中塚一碧楼の妹の清と結婚。河東碧梧桐に師事、「乱礁会」「水曜会」を結成。義兄一碧楼の「自選俳句」に参加。一時「海紅」に参加したが大正期には俳壇を離れた。昭和10年、定型俳誌「渚」を発刊したが、昭和15年に廃刊した。

巌谷小波(いわやさざなみ)(1870-1933)
明治3(1870)年、東京出身。本名は季雄。一時、「漣山人」と号した。父は貴族院議員も務める裕福な家庭に育ち、医者となることを期待されて育ったが、文学を好み、尾崎紅葉の主宰する硯友社に入った。「こがね丸」(1891)がきっかけとなり、博文館から次々にお伽噺を発表し、明治27(1894)年からは雑誌「少年世界」の主筆となり、児童向け雑誌や、「日本昔話」「日本お伽噺」「世界お伽噺」などの叢書を発刊した。明治33(1900)年から2年間、ベルリン大学東洋語学校に日本語教師として赴任し、帰国後、ドイツでの見聞をもとに、「学校芝居」を提唱し、そのための脚本も書いた。「お伽翁」とも呼ばれ、近代児童文学の祖となった。

尾崎放哉(おざきほうさい)(1885-1926)
鳥取県吉方町(現鳥取市)に生まれる。本名秀雄。中学時代より句作。1902年(明治35)第一高等学校入学。荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)のおこした一高俳句会に入る。東京帝国大学法科に入学後、芳哉の号で高浜虚子(きょし)選の『国民新聞』俳句欄や『ホトトギス』に投句。07年ごろ放哉の号となり、09年大学卒業。東洋生命保険会社入社。15年(大正4)末より井泉水の『層雲』に投句。朝鮮火災海上保険会社支配人になったが酒癖のため退職。妻と別れ京都の一燈園に入り、のち諸方の寺の寺男となった。25年夏、小豆島(しょうどしま)の西光寺奥の院の南郷庵(なんごうあん)に入り独居無言、句作三昧(ざんまい)の境に入ったが1年足らずで病没した。句集『大空』(1926)があり、口語自由律の句に特色を発揮した。

荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)(1884-1976)
明治17年6月16日、東京・芝神明町(現港区浜松町)に生まれる。本名藤吉(とうきち)。中学時代より作句し、1901年(明治34)旧制第一高等学校に入学し、角田竹冷の「秋声会」、岡野知十の「半面派」に関係し、のち正岡子規の日本派に参加し一高俳句会を結成した。05年東京帝国大学言語学科入学、河東碧梧桐の「新傾向俳句運動」に加わり、従来の俳号「愛桜」を「井泉水」と改めた。08年東大卒業。碧梧桐と11年4月『層雲』を創刊したが、季題について意見を異にする碧梧桐が大正初頭同誌を去り、井泉水は季題と定型を揚棄した自由律俳句を唱え、門下から野村朱鱗洞、芹田鳳車、尾崎放哉、種田山頭火らの作家・俳人を輩出した。句集に『原泉』(1960)、『長流』(1964)、『大江』(1971)、主著に『俳句提唱』(1917)、『新俳句研究』(1926)、『旅人芭蕉』正続(1923~25)、『奥の細道評論』(1928)などがある。65年(昭和40)芸術院会員。昭和51年5月20日に没した。

種田山頭火(たねださんとうか) (1882-1940)
山口県防府町(現防府市)に生まれる。本名、正一。幼時の母の自殺が山頭火の生涯に大きな衝撃を与えた。1902年(明治35)、早稲田大学文科に入学したが、神経衰弱で退学して帰郷。父と酒造業を営むが失敗し、家は破産。山頭火は熊本市で額縁店を開くが、家業に身が入らず妻子と別れ上京。しかし、定職を得ず、熊本に帰る。酒におぼれ生活が乱れた。1924年(大正13)市内の報恩寺で出家。法名、耕畝とした。市北部の植木町味取の「味取観音」の堂守となった。1926年、行乞(ぎょうこつ)の旅を始め、山口県小郡(現山口市)の「其中庵」に住したが、行乞漂泊すること多く、諸国を巡り、1940年(昭和15)松山市の「一草庵」で没した。句は1913年から『層雲』に投句。漂泊中の作に特色がある。句集『草木塔』(1940)がある。





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埼玉県立歴史と民俗の博物館 企画展「北沢楽天と時事漫画」 [展示]

埼玉県立歴史と民俗の博物館において企画展「北沢楽天と時事漫画」が開催されています。

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開催概要(博物館ホームページから)
「時事漫画」は、大正10年(1921)に新聞「時事新報」の付録として創刊された、日曜別冊版です。主筆を務めたのは埼玉県大宮出身の漫画家である北沢楽天で、風刺漫画や多くの写真を盛り込んだ記事は大変な人気を博しました。この展覧会では、明治末期から昭和初期頃にかけての激動の時代において、楽天やその弟子たちが社会をどのように描いたかを見ていきます。


会期    令和元年7月13日(土)~9月1日(日)
開館時間 9:00~17:00(観覧受付は16:30まで)
休館日   月曜日
費用  一般400円、高校生・学生200円、中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方(付添1名含む)は無料


●会場 埼玉県立歴史と民俗の博物館 特別展示室

●主催  埼玉県立歴史と民俗の博物館

●協力
・さいたま市立漫画会館
・北沢楽天顕彰会

●後援 埼玉新聞社、テレ玉、FM NACK5

◆アクセス
東武アーバンパークライン(野田線)大宮公園駅下車 徒歩5分
 大宮方面から  :大宮駅から2駅、乗車約4分
 春日部方面から:春日部駅から7駅、乗車約18分 


問い合わせ
  埼玉県立歴史と民俗の博物館 展示担当
  〒330-0803 さいたま市大宮区高鼻町4-219
  TEL 048-645-8171  FAX 048-640-1964




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