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「もの」と「ひと」の旅―14 ―長野県からきた黒い石― [紀行]

 考古資料の発見からものの動き(流通)やかかわる古代人の活動圏(移動範囲)を知ることできます。考古遺物は天然自然のものを最小限度の加工を加えて利用していることがほとんどですが、その技術水準は頂点に達している遺物があります。ガラス質の黒曜石を細かく打ち割り、剥ぎ取り造られた小さな鏃は現代人が簡単には造りえない品です。材料となる黒曜石は限られた産出地にしかなく、荒川で拾うことはできません。その産出地も遠く伊豆諸島の神津島、天城、箱根山や長野県八ヶ岳周辺に産出地があり、市内の遺跡から多数出土する黒曜石製のナイフ形石器や矢尻は古代人が採取し運び出したものです。当時、物々交換的な交易品として取り交わされた可能性があり、地方形式の土器が出土する理由も説明できそうです。でも、疑問がわきます、産出地の情報をどうやって知りえたのでしょう。古代人は旅人であり探検家ではなかったかと想像しています。
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写真1 1㎝に満たない黒曜石製の石鏃 千代、西原遺跡出土(縄文時代中期ころ)

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写真2 1.6㎝に及ぶチャート製の石鏃 千代、西原遺跡出土(縄文時代中期ころ)
 分析により黒曜石は長野県八ヶ岳 霧ヶ峰周辺の採取、チャートは荒川河原などの近辺の採取と思われる。

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写真3 塩西遺跡出土の黒曜石片 旧石器時代
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