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「もの」と「ひと」の旅―13 ―仏の来た道 最初の仏教遺品 立野古墳群出土杏葉― [紀行]

 杏葉とは乗馬用の馬具のなかで、馬の頭部から胸や尾に掛けまわした「胸懸―むながい」や「尻繋―しりがい」に付けられた皮革や金銅で造られた装飾品です。
 立野古墳のものは、銅板に金メッキを施し皮革に鋲留したようです。繋ぎとなった皮革は腐朽して残りませんが、金銅版の表面には細い線で模様が彫られています。唐草文が元になったデザインとされ、6世紀から7世紀に馬具や仏像の金具などに類例を見ることができます。精巧な製品であり、盗掘によりほとんどの部品は残りませんが完存していれば藤木古墳の馬具のような豪華な馬具であったかもしれません。類例品を見ると飛鳥の朝廷からもたらされた品で、日本最初の寺院「飛鳥寺」の本尊仏を製作した鞍作止利に代表される渡来人の一族は、その名から馬具の製作に当たった専門工人集団だったと考えられています。
 古墳時代も終末期に築造が始まる立野古墳群の被葬者達は中央との特別な結びつきを持った集団で、推古天皇の摂政となった厩戸皇子の東国の領地である壬生部を管理運営した吉志氏の一族と考えられ、その関係によりもたらされた品ではないかと考えています。
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写真1 盗掘され石室下部しか残らない 立野12号墳 手前羨道部の覆土から杏葉が出土した。

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写真2 杏葉 2点 花弁状をして細い直線と曲線で火炎状の模様を彫りつけている。7世紀後半から8世紀初頭までの時期。

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