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旅の記憶‐12 ―昭和初年のサイクリング― [紀行]

 服部清道は板碑の研究者として知られ、板碑研究の基本図書とされる『板碑概説』昭和8年(1933年)を公刊している。研究調査の途上、市域を巡った小旅行の随筆を残している。「毛武紀行」と題した一編の第三章―世良田から熊谷まで―にみえる昭和10年7月に行われた小旅行をたどってみよう。
 毛は毛野つまり、古代北関東の名で群馬栃木一帯を云う。服部は、群馬県太田市から利根川を越え武へ入る。武は武蔵で埼玉県妻沼町の古戸渡しを暮れ方「渡し船」で通行し、バスで熊谷市街に入り知人の宅へ泊す。翌朝、自転車を駆っての文化財探訪を始めた。服部の服装は和服に下駄履きだったが自転車走行は意外と快適だったとしている。
 訪問地は、(熊谷 8時発)―玉洞院―大我井板碑(当時の妻沼小学校)―聖天堂―安楽寺(別府氏板碑)―(玉井)―一里塚―(熊谷市街 昼食)―熊谷寺―(荒川越え)―嘉禄の板碑(須賀広 大沼公園)―茶臼塚板碑(村岡)―熊谷市街(4時20分着)
 この行程では服部の興味のあった板碑を中心に観察している。同行したのは熊谷の知友岡部親子と熊谷の写真屋さんとある。各所で撮影したようであるが、写真は掲載されていない。残っていればぜひ見てみたいものと思う。
 なお、服部は大我井板碑の背面種字間にかすかに見えた紀年銘を「正和五年丙辰二月十□日」と呼んでいるが、現在は確認することはできない。嘉禄銘板碑の紀年銘も「嘉禄二年大才 丙戌二月二日」と判読しているが、現在は嘉禄三年丙辰六月二十二日」とされている。
また、安楽寺の板碑については右側から、文和三年銘―寛元二年銘―年季欠―五輪塔一基とあり、現在の造立順とは異なっているが、これは天明2年(1782)に高山彦九郎が見た時と同じである。
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写真1 現在の別府氏板碑と五輪塔

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写真2 服部清道の著書『郷土文化を探る』と『徒歩旅行者の歴史学』 埼玉県指定史跡「別府氏墓」

参考 服部清道 1943 『郷土文化を探る』牧書房
   服部清道 1944 『徒歩旅行者の歴史学』牧書房
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