SSブログ

「もの」と「ひと」の旅―10 ―中世の銭は輸入品― [紀行]

 日本の貨幣は皇朝十二銭の発行以外、甲州金(戦国大名武田氏の鋳造した金貨)などを除いて、寛永通宝(江戸時代)まで「通貨」の発行はなかったようです。代替品として、布・米・砂金などの生産物や希少品などが使われていたようです。ただこのような物々交換だけでは対価を量ることは難しく、普遍的で安定した価値と品質を持つ通貨がどうしても必要になります。中世期には中国から大量の銅銭を輸入し、国内の経済活動に使用しています。この貨幣は「渡来銭」と呼ばれ中国の唐王朝から明王朝までのほとんどの種類があり、中央の方孔に紐を通し保存や携帯していたようです。 遺跡からは落とし物や祭祀に使われた様子を示す場合や六道銭として墓に納められた状態で発見されることがあります。さらに、蓄財として大量の銭が箱や甕に納められたまま発見されることがあります。当時の有力者が埋納し、掘り出されることがないまま発見されることになったため、由来を知ることは困難ですが、当時の差し迫った事情が窺われます。
 市域では、玉井、小江川、上之で数万枚の銭が出土しています。玉井例では工事中の発見であったため容器の甕が壊れ散乱した銭を回収したところ63種類16,184枚確認されましたが、甕の大きさからすると3万枚前後はあったろうと推測されています。この「玉井古銭」は戦国時代末頃の埋納と想定されており、発見後は市文化センター美術郷土資料展示室に展示されています。
 銭の価値が気になるところですが、物価の換算率を定めた「估価法」によると、寛喜2年(1230)では、銭1枚1文として1,000文は1貫に、1貫は米1石(約150㎏)に当たり、現在の米価格を米10㎏が4,000円とすると1貫は60,000円前後になります。もっとも時代により価値が変化するので戦国時代の終わりころは米一石833文前後で、1文は72円程になり、玉井古銭の試算では総額216万円くらいにはなるでしょうか。
image001s.jpg
写真1 玉井古銭展示状況  発見時の銭が散乱した状態を復元

image003s.jpg
写真2 上之・諏訪木遺跡出土埋蔵銭の状況  塊になっています。2万枚はあるかも。

image005s.jpg
写真3 上之・諏訪木遺跡出土埋蔵銭に含まれる「永楽通寶」
    永楽通寶は中国明銭、戦国時代に多数普及し、関東を支配した後北条氏の税金にも使用された。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。