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実盛坂 もう一つの「長井荘」 [その他]

 妻沼聖天山の開基、斎藤実盛が、武蔵国内に最初に拠点を置いた場所は、熊谷市妻沼とされ、「長井荘」と呼ばれた荘園の別当(長官)に就いていました。現在の東京都文京区湯島から池之端一帯も「長井荘」の遺蹟とされ、実盛にちなんだ「実盛坂」実盛墓などの伝承が伝えられています。湯島天神社の参道に接し、本郷台地縁辺の坂になります。この地も熊谷・妻沼と同様、長井氏の関わる地域であったようです。
 妻沼の地と湯島の地を結ぶことができるとしたら、かつての利根川の流路を利用した河川交通の可能性があるでしょう。当時の河口近くにあった湯島の地と妻沼の地を結ぶ外水(海上交通)と内水(河川交通)のハブ(市・宿なども含む積み替え港)輸送の拠点に斎藤氏もかかわっていたのかもしれません。
 妻沼周辺に特徴的な善光寺型の板碑(現在は歓喜院前に建つ大我井板碑など)と同型の板碑が浅草で見つかっています。斎藤実盛の活躍した時期より後出のものですが、石材は緑泥石片岩で荒川流域から運ばれています。斎藤氏らと宗教観を同じくする集団が造立に関係していたのではないかと想像しています。
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本郷台地を下る急坂 坂下はかつて奥東京湾、荒川・利根川の河口が広がっていた。
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文京区「実盛坂」の説明板
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埼玉県指定有形文化財(考古資料)「板石塔婆(善光寺式三尊像)」
善光寺式阿弥陀三尊の刻まれた板碑―妻沼大我井旧在(現歓喜院前に移転)
※東京都浅草の法源寺に同形、康元2年(1258)銘の板碑が所在していた(戦災により所在不明)。
本郷台地地形図-01_555x555.jpg 本郷台地地形図-02_555x555.jpg
本郷台地(Googole Erath Pro+東京地形地図より) 本郷台地(拡大)
(Googole Erath Pro+東京地形地図より)

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