大我井経塚の出土品は報告書に記載されていますが、実物を東京国立博物館で見学したことがあります。
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3号経筒中の経巻の状態図 |
経筒や和鏡、短刀などの金属製品とともに、土中にあっては腐朽してしまう有機質の遺物が出土していました。その一つの竹製品は「扇」であり、和鏡とともに女性の持ち物とされます。和紙は経筒の中に納められた「経典」(如法経―法華経の一部とされる)は密着して塊となっており、しかも風化して崩れやすく、とても開けるような状態ではありませんでした。しかし、この経巻は文字資料として、経塚造立の意図や関係者の名が記されている可能性が高い遺物です。
東大寺の大仏殿から発掘された経巻類は固着した文書で、その状態から「ろうそく文書」といわれます。この文書をなんとか開いたところ大仏開眼に列席した僧侶の名簿でした。万人に及ぶ名前がずらりと書かれていました。このように腐朽を免れ出土した経巻類などから実際に書かれた文字が判明する場合もあります。八王子市の白山神社経塚からは仁平四年(1154)の奥書が朱書された経巻が出土しています。
大我井経塚の経巻断片も朱書された文字が観察されました。この経典残闕を開き、読むことができれば、斎藤一族と結縁者の名が明らかになるのではないかと推定されます。将来、技術の進歩によって可能となる日が来るでしょうか。
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バラバラの経巻 |
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3号経筒の経巻 |
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3号経塚の短刀 |
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