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大我井経塚の発掘調査 [発掘調査]

 今は妻沼小学校の敷地となっている大我井森の中に、前回紹介した板碑と経塚がありました。この経塚について紹介します。妻沼経塚あるいは大我井経塚と呼ばれるこの経塚遺跡は、昭和32年9月に妻沼小学校の校舎造成工事に際して発見されました。不時発見の報告を受けた当時の町教育委員会と県教育委員会では、県文化財保護審議員でもあった熊谷市の小沢国平氏を急行させ、すでに多く遺物が発見されていた中、その重要性を理解され、直ちに発掘調査に取り掛かりました。県からは当時の埋蔵文化財の担当者であった柳田敏司氏らが加わりました。大我井経塚は関東地方でも数少ない経塚の発掘例としてまた、出土遺物の豊富さから国立博物館に収蔵されることとなりましたが、その内容は発掘報告書と妻沼町誌に発掘担当者の小沢氏らと妻沼町教育委員会の手によって報告されています。
 挿図は当時の実測図です。遺物写真は最近のものです。
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3号経塚の断面図(上)・平面図(下)
 石室の中央に経筒が据えられ、周囲に短刀と和鏡が取り巻くように埋納されていた。男女の結縁者が身に帯びていた短刀又は鏡を納めたものでしょう。銹がひどく保存状態が不良だが41振以上あったとされます。

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3号経塚の経筒実測図(左)と経筒(右)
 経筒内には融着した経巻がひと固まりで残っていた。(実測図中の左上)

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和鏡 山吹双鳥鏡
 鋳上がりが良く文様も明瞭。直径12㎝。
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