高根横穴墓 [古墳時代]
昨日、凝灰岩の岩盤を掘削した地下壕を紹介しましたが、今回は、同じ小江川地内に所在する、熊谷市指定記念物 史跡「高根横穴墓」を紹介します。
開口部の幅2.5m、高さ1.5m、奥行4mを測り、形態はカマボコ形を呈し、入口部の形態は地下壕に似ています。
比企丘陵北側には、国指定史跡「吉見百穴横穴墓群」や埼玉県指定史跡「黒岩横穴墓群」などの古墳時代の大規模な横穴墓群がつくられており、大森貝塚を発掘調査したE.S.モース(1838-1925)も調査に訪れています。
この高根横穴墓は、7世紀以降に築造された可能性が高く、県内における横穴墓のなかでも最終末に位置付けられるものと推定されます。
比企丘陵の凝灰岩は、古墳時代には古墳石室石材や横穴墓、平安時代にはカマド構築材、中近世には石造物石材・寺社の石段・井戸枠等に使用された石材で、付近の山中には今でも石切り場の跡が確認されます。
↓は、内部より開口部外を撮影したものです。
開口部の幅2.5m、高さ1.5m、奥行4mを測り、形態はカマボコ形を呈し、入口部の形態は地下壕に似ています。
比企丘陵北側には、国指定史跡「吉見百穴横穴墓群」や埼玉県指定史跡「黒岩横穴墓群」などの古墳時代の大規模な横穴墓群がつくられており、大森貝塚を発掘調査したE.S.モース(1838-1925)も調査に訪れています。
この高根横穴墓は、7世紀以降に築造された可能性が高く、県内における横穴墓のなかでも最終末に位置付けられるものと推定されます。
比企丘陵の凝灰岩は、古墳時代には古墳石室石材や横穴墓、平安時代にはカマド構築材、中近世には石造物石材・寺社の石段・井戸枠等に使用された石材で、付近の山中には今でも石切り場の跡が確認されます。
↓は、内部より開口部外を撮影したものです。
2014-06-12 11:21
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