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旅の記憶‐11 ―行旅の人 高山彦九郎― [紀行]

 生涯にこれほどの旅を行いその見分と道中記を綿密に記した人物は数少ないと思います。天明飢饉に際し、東北地方を巡る旅程の途上で聞き取った天明飢饉の災禍の生々しく冷静な記述は今も胸を打つほどです(北行日記)。その人は高山彦九郎といい、市域とも少なからず関わりの深い人物です。現在の太田市細谷の地に延享4年(1747)に生まれ、親戚縁者が妻沼地域にいたことから、たびたび市域を行き来しています。
40冊余り残された旅行記の中には市域の関係者や地名が多出し、市域の記事も多くみられます。詳細は全集や「高山彦九郎記念館」の展示・同館のデータベースが参考となることから、ぜひ現地やホーム頁を訪れてみてください。
 なお、市域を目的とした小旅行記として安楽寺の所在する西別府を訪れた記録、「武州幡羅廻」があり、安楽寺に建つ別府氏の五輪塔と板碑を見分し簡潔な図も残しています。図と記述によると碑は九体堂の東側に東向きに立ち並んでいますが、板碑の並び順は現在と逆です。安楽寺の板碑・五輪塔は別府氏の供養塔とされ文和3年(1354)の板碑には藤原頼重の銘を持ち、埼玉県の指定文化財となっています。彦九郎は地域の歴史に関心があったようで、次ぎに深谷城跡を訪ねています。
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写真 現在の別府氏板碑と五輪塔、右側板碑3基、左側に五輪塔2基

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図 高山彦九郎元図の板碑と五輪塔 写真 文和3年銘板碑の銘文
「甲斐守藤原頼重世寿四十一歳法号常賛矣」と刻まれる

参考  『高山彦九郎全集』 1~5巻 西北出版 1978  
第2巻に「武州幡羅廻」、第3巻に「北行日記(奥羽紀行)」を掲載
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