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出土瓦に残る模様2「並行叩き」 [奈良平安時代]

 この瓦は、柴・板井に所在する寺内廃寺から出土したものです。この瓦の製作方法は、布を敷いた台の上に未成型の瓦を置き、工具で成型し、乾燥の後、窯で焼成して完成させます。瓦の成形時に粘土中の気泡を出したり、厚さを均一にするため、羽子板のような形をした「叩き具」と呼ぶ工具で、叩き締めます。この瓦の場合叩き締めの跡を擦り消さず残しているので、細かい畝状の線となって模様のように残ります。工具痕の一種ですが、他の工具と区分して「並行叩き」と呼んでいます(写真1)。良く似た資料が鳩山町の「金沢瓦窯跡」から出土しています。指紋も残っていました(写真2)。
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写真1「並行叩き」の瓦破片
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写真2
この「並行叩き」は同時代までの須恵器大甕などに共通してみられる工具痕です(写真3)。また、寺内廃寺の出土瓦全体での占める割合は少数になります。造られ使用された時期は、8世紀中ごろから後半に係る頃と考えています。この頃は武蔵国分寺だけでなく日本全国で国分寺の瓦を焼くため大規模に経営された生産跡が「窯業遺跡」として確認されています。武蔵国では末野(寄居町)、南比企(鳩山町・ときがわ町・嵐山町)、東金子(入間市)、南多摩(稲城市~八王子市)を中心として多数の窯が残されています。瓦工人の指導のもと、容器を造る須恵器工人まで瓦造りに動員されたのではないかと考えています。
 なお、武蔵国分寺の整備は遅々として進まず、たびたび督促の指示が出され、天平13年(741)の国分寺建立の詔勅後、約20年を経た756~765年頃に完成した考えられています。

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写真3 「並行叩き」の残る寺内廃寺出土須恵器大甕破片


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