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愚禅書馬頭尊 [近世]

愚禅書の石造物紹介5回目。今回は市内広瀬地内の馬頭尊を紹介します。国道140号線と県道75号熊谷児玉線の交差点から南へ100m程の地点、広瀬不動尊の位置する三叉路北側の旧道脇に位置し、以前紹介した石橋供養塔の脇に建てられています。文政8年(1825)に武州大里郡廣瀬講中により造立されたmので、「前大乗九十翁愚禅」と刻まれています。
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また、この馬頭尊は道標を兼ねており、台座には、「右ふかや」「左よりゐ」と講中の名前が刻まれています。
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愚禅和尚(1733-1829):比企郡羽尾村の須沢家の養子になり、近くの興長禅寺の癡天愚(ちてんぐ)和尚により剃髪後、延享3年(1746)長州功山寺に赴き修行。宝暦11年(1761)武州忍領龍光禅廓会首職、翌12年(1762)には村に戻り興長寺20世住職となる。寛政元年(1789)大乗寺43世貫主に推戴された後、文化5年(1808)熊谷宿原島の福王寺を開基し、「観音構式」の校訂や「仏道事引草序」の著述を行う。板石塔婆や石塔、山門碑など各地に多くの筆跡を残している。

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