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きかは便郵108 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介108回目。今回は「熊谷堤の桜」です。
sakura.jpg
旧荒川堤に植えられた桜が満開の写真です。
写真の上にはこの桜を詠んだ歌が記されています。
「江戸から こここまで 熊谷堤 花の廊下の 月あかり ー芦江ー」
「我も叉 阿弥陀笠 着て 咲く花に うしろは 見せぬ 熊谷桜 ー三陀羅ー」
「山さくら 枝のすきまを かそふれば 春はまばらに なりにける哉 ー野雁ー」

芦 江は、文人の平山芦江(1882-1953)と思われます。神戸生まれ、本名は壮太郎。実父の死後に長崎の酒屋、平山家の養子になった。日露戦争中満州に渡り、帰国後は「都新聞」などの花柳・演芸欄を担当。大正15年長谷川伸らと第1次『大衆文芸』を創刊。都都逸、小唄の作詞も行う。作品に『唐人船』『西南戦争』などがある。
三陀羅は、狂歌師の三陀羅法師(1731-1814)。この歌は、三陀羅法師が文化5年(1808)3月13日熊谷を訪れ、漢学者青木金山主催の石上寺で開催された書画会に、窪天民、浦上春琴、谷文一、釧雲泉らと共に臨席した際に詠んだもので、熊谷直実の歌詠「浄土にも剛のものとやさたすらん。西に向ひてうしろ見せねば」に拠ったものです。
野 雁は、歌人・国学者・万葉学者の安藤野雁(1815-1867)。福島県桑折町で生まれ。野雁は、晩年を武蔵国冑山(現熊谷市)の根岸家を中心に滞在しており、この歌は、荒川の熊谷桜堤を見て詠んだものです。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
以上のことから、この絵葉書は、大正7年(1918)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。


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