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きかは便郵105 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介105回目。今回は「桜雲閣」の観桜会です。
桜雲閣は、「きかは便郵7」でも紹介していますが、この建物は明治7年(1874)に「暢発(ちょうはつ)学校」という教員養成所として、高城神社境内に建てられたものです。明治12年に廃校となり、明治43年(1910)に現在の弥生町地内に移築されて「櫻雲閣」と名づけられました。高崎線の線路際にあり、当時線路を隔てた南側は熊谷堤があり、「櫻雲閣」という名はこれに由来しているものと推測されます。建物内部には、425畳敷の大広間と事務所、会議室、応接室、貴賓室が設けられており、明治39年(1906)に結成された桜の保勝会の事務所がここに置かれた他、熊谷唯一の公会堂として各種催事に利用されていました。
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桜雲閣の周りには紅白の幕が廻らされ、桜雲閣の3階からは2方向に提灯が下げられています。
写真右手には簡易的な舞台がつくられ、着物を着た女性が踊っています。小屋の上には、「一般観櫻會 水木連」と記された幕が掲げられています。舞台周りの囲いには「本舗 五家寶 熊谷本店 風間堂」「履物 熊谷本二 恩田商店」等の広告幕が提げられています。囲いの入口には、杭に「麦湯接待所」と書かれた紙が下げられています。
左手には舞台上に男性が座り、ピアノのようなものを演奏しており、多くの男女が見物しています。
当時のお花見の賑やかな様子がうかがえる貴重な写真です。
写真下には「熊谷櫻雲閣観櫻會光景 熊谷杉浦書店発行」と印字されています。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.桜雲閣の移設が、明治43年(1910)。
3.「櫻雲閣」の焼失が大正14年(1925)。
以上のことから、この絵葉書は、明治43年~大正14年の間に製作されたものと推測されます。

恩田履物店:市内本町2丁目履物の卸しと小売りを行う。明治6年開業。
風間堂菓子店:市内本町2丁目の菓子店。天保年間創業。明治期の店主風間浅五郎は、五家寶を改良し腐りにくくして夏季の販売に供した。


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