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野口雪江奉納両聯 [近世]

熊谷出身で、寛政の3名筆の一人と称される野口雪江が、寛政9年に浅草の浅草寺に奉納した両聯(りょうれん:細長い札)を紹介します。
RIMG3648-2.jpg
RIMG3644-2.jpg「十方来人皆対面」
RIMG3647-2.jpg「仏身円満無背相」
浅草寺本堂内の外陣に掲げられているもので、般若讃の中の語句を書いたものです。
浅草寺にお参りに行った際にはぜひご覧ください。

野口雪江(1732-1799):享保17年12月7日熊谷(母方の下奈良の栗原家)に生まれ、名は秀航。父は大善院七世秀猷、母は奈良村の栗原氏。若くして金峰山に入り修験道を修行し、護法を修め、鎌倉町の熊谷総鎮守愛宕神社の祠官をつとめた。若いころより学問にはげみ、17歳で肥塚の東有隣から経史を学び、18歳の頃江戸に出て、当時名声のあった書家の関思恭に入門し、書道を研鑽した。
性質謙譲、博識で書道に秀で、寛政9年、弟子の勧めにより東京浅草の浅草寺に「仏身円満無背相」「十方来人皆対面」なる般若讃の中の語句を書いた両聯を奉納し、世の書家から「寛政の三名筆」としてたたえられた。
また、俳諧・書道に後進の育成に当たり、宿役人であった竹井新右衛門、石川清左衛門、石川藤四郎らも雪江の教えを受けた。そして、江戸後期の熊谷宿の有識者として、俳諧の師建部涼袋や儒医の三浦無窮をはじめ、多くの文人墨客たちと交わり、幅広い文化活動を推進した。
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