藤原光俊句碑(大我井神社) [句碑・歌碑]
市内妻沼の大我井神社境内に建てられている藤原光利の句碑を紹介します。
「紅葉ちる 大我井の杜の夕だすき また目にかかる 山のはもなし」
鎌倉期の歌人藤原光俊が、東山道への道すがら太我井の杜を眺望し詠んだ句です。
本碑は、昭和17年(1942)田島峯吉外有志で建立したものです。書:相馬御風
藤原光俊:(1203-1276)鎌倉時代の公家、歌人。順徳天皇に近侍し,承久の乱で筑紫に配流。嘉禎元年(1235)右大弁となるが、翌年出家。将軍宗尊親王の歌道師範。「続古今和歌集」撰者の一人。
相馬御風:(1883-1950) 詩人・歌人・評論家。本名は昌治。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。
「紅葉ちる 大我井の杜の夕だすき また目にかかる 山のはもなし」
鎌倉期の歌人藤原光俊が、東山道への道すがら太我井の杜を眺望し詠んだ句です。
本碑は、昭和17年(1942)田島峯吉外有志で建立したものです。書:相馬御風
藤原光俊:(1203-1276)鎌倉時代の公家、歌人。順徳天皇に近侍し,承久の乱で筑紫に配流。嘉禎元年(1235)右大弁となるが、翌年出家。将軍宗尊親王の歌道師範。「続古今和歌集」撰者の一人。
相馬御風:(1883-1950) 詩人・歌人・評論家。本名は昌治。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。
2016-08-19 08:49
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