きかは便郵91 [きかは便郵]
熊谷地域の昔の絵葉書紹介91回目。今回は「熊谷養蜂場」です。
民家の庭先に蜜箱が並べられており、帽子を被った男性2人と、子供を抱いた着物姿の女性が一つの蜜箱を取り囲んで写っています。左側の男性は右手に燻煙器を手にしており、右側の男性は、密箱の中の木枠を取り出しています。
写真下には、「熊谷名所 熊谷養蜂場内之景 其二」と印字されています。
明治~大正期に、熊谷市内での養蜂の実態については良くわかりませんでした。写真では、民家の庭先で行われているようです。
現在隣の深谷市には、創業明治43年の熊谷養蜂株式会社があります。大正6年刊行の『熊谷大観』には、「種蜂養蜂器具、養蜂書籍販売、蜂蜜販売の熊谷町 熊谷養蜂場」の広告が掲載されていることから、石原地内の養蜂の写真を写した可能性があります。
この葉書の製作年代ですが、宛名面通信文記載範囲が1/3になっていることから、明治40年(1907)以降で、宛名面通信文記載範囲が1/2になった大正7年(1918)以前に作成されたものと考えられます。
民家の庭先に蜜箱が並べられており、帽子を被った男性2人と、子供を抱いた着物姿の女性が一つの蜜箱を取り囲んで写っています。左側の男性は右手に燻煙器を手にしており、右側の男性は、密箱の中の木枠を取り出しています。
写真下には、「熊谷名所 熊谷養蜂場内之景 其二」と印字されています。
明治~大正期に、熊谷市内での養蜂の実態については良くわかりませんでした。写真では、民家の庭先で行われているようです。
現在隣の深谷市には、創業明治43年の熊谷養蜂株式会社があります。大正6年刊行の『熊谷大観』には、「種蜂養蜂器具、養蜂書籍販売、蜂蜜販売の熊谷町 熊谷養蜂場」の広告が掲載されていることから、石原地内の養蜂の写真を写した可能性があります。
この葉書の製作年代ですが、宛名面通信文記載範囲が1/3になっていることから、明治40年(1907)以降で、宛名面通信文記載範囲が1/2になった大正7年(1918)以前に作成されたものと考えられます。
2016-08-12 08:36
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