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来て!見て!知って!文化財 [お知らせ]

2月号の広報では、「大里の好古家と考古学の幕開け ―武香と開邦からモースとシーボルトへ―」を紹介しています。
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明治10年(1877)、「吉見百穴」から数キロ北方の斜面に位置する「黒岩横穴墓群」の発掘が行われました。この発掘は大里出身の名士が中心となって実施され、16基の横穴墓を確認するなどの成果を得ました。その人物とは、幕末の志士・根岸友山から受け継ぎ当主を担った根岸武香と、郷土史の資料として評価される見聞録『桐窓夜話』を著した須藤開邦です。
同じ年に、エドワード・S・モースが東京の大森貝塚を発掘していることを考えると、この横穴墓群の発掘は、当時の考古学の先端をいく試みだったことが分かります。武香は埼玉県議会第二代議長に選出されるなど政治の分野で活躍しました。また貴族院議員として尽力する中で、古物収集や考古学の分野にも強い関心を抱いていました。一方、開邦も地元の振興に力を注いだ素封家(財産家)に留まらず、自由民権運動にも参画するなど、社会事業を実践していました。「好古家」とも言える武香と開邦の先見の明が、地域の文化財保護や考古学の発展に寄与したのです。
その後、大里地域での発掘成果に興味を持つ、多くの学者や武香との交遊があった著名な外国人などが根岸家を訪れています。その中には、大森貝塚の発掘のほか、日本の動物学に多大な貢献をしたモースと、日本の考古学を確立させたハインリッヒ・フォン・シーボルトがいます。近代日本の学術を先導した2人が、根岸家長屋門をくぐりぬけ、熊谷に新たな時代の息吹をもたらしたことは、幸運な出来事として後世まで語り継がれていくことでしょう。
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市のホームページからは、PDF版・電子版がダウンロードできますので、こちらからご覧ください。

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