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中世石造物調査 [中世]

本日、今年度3回目となる、市史編さん事業に伴う中世石造物調査を実施しました。
今回は6名で、市内の久下・戸出地域の寺院・墓地の調査を行いました。
午前中は、久下の長福寺・東竹院の調査を行いましたが、強風のため、屋外での拓本採拓は行えず、久下公民館に板碑を運び込み、記録作業を行いました。
午後は、戸出地内の墓地にて調査を行いました。↓
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また、長福寺では、亀田鵬斎(かめだぼうさい)書の庚申塔を確認しました。
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亀田鵬斎(1752-1826)は、江戸時代後期の儒学者・書家・文人で、「寛政異学の禁」により、山本北山、冢田大峯、豊島豊洲、市川鶴鳴とともに「異学の五鬼」とされてしまい、千人以上いたといわれる門下生のほとんどを失っています。
その後、各地を流浪し、60歳で江戸に戻るとその書は大いに人気を博し、人々は競って鵬斎の書を求めました。
鵬斎の書は現代欧米収集家から「フライング・ダンス」と形容され、空中に飛翔し飛び回るような独特な書法で知られています。「鵬斎は越後がえりで字がくねり」という川柳も残されています。
また、鵬斎は心の優しい人柄でも知られ、天明3年の浅間山大噴火による難民を救済するため、すべての蔵書を売り払いそれに充てたり、赤穂浪士の忠義に感じ、私財を投じて高輪の泉岳寺に記念碑を建てたり、定宿としていた浦和の宿屋の窮状を救うため、百両を気前よく提供したという逸話も残っています。
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