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籠原裏遺跡出土瓶2 [瓶]

籠原裏遺跡出土瓶の紹介2回目。今回は、薬瓶です。
IMGP6015.jpg
高さ13.0cm、底径5.5cmを測り、胴部に「深谷 石丸病院」とエンボスされています。
石丸病院は、明治時代に大里郡玉井村(当時)で開業し、現在に至っています。
玉井村は、1889年(明治22)4月1日 町村制施行に伴い、玉井村・久保島村・新堀村・高柳村が合併し、幡羅郡玉井村が成立します。1896年(明治29)3月29日には、 幡羅郡が大里郡・榛沢郡・男衾郡と合併し大里郡となり、1941年(昭和16)4月10日に、 熊谷市に編入して消滅しています。
玉井村がいつごろまで深谷と認識されていたのかについてはわかりませんが、この瓶は、1896年(明治29)以降1941年(昭和16)以前のものと判断されます。
bin2.jpg
↑は、胴部のエンボス部の拓本です。

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