SSブログ

旅の記憶‐7  四国霊場巡拝納経帖  樋春平山家文書 [紀行]

 江戸時代は街道や宿場が整備され人馬の往来が容易になり、武士は参勤交代など、庶民は巡礼や湯治などを目的に旅立っています。市内樋春の旧家に住む勘右衛門さんは「四国八十八ヵ所」を巡り記帳した「納経帖」を残しています。おそらく「伊勢参宮」から「西国三十三箇所」そして「四国八十八ヵ所」の巡礼へ向かったものと思います。このルートは巡礼者の多くがたどった道筋になります。この納経帖には「奉納四国八拾八箇所巡拝」「武州大里郡 願主勘右衛門」の表題と署名があり、天保14年(1843)年の1月14日から記帳が始まり、結願寺での日付は2月22日となっています。
 この旅は、樋春を晩秋の頃出発し伊勢から大阪に入り、「四天王寺」を記帳はじめの第1番とし、西国の札所から四国の札所へ巡礼をしたものです。巡礼後に宮島、出雲を巡ることもよく行われていますが、勘右衛門さんの場合納経帖以外の資料は不明なので前後の経緯はよくわかりません。ただ、伊勢参宮や四国の旅は約3か月超の期間と多くの旅費を要したと思われ、後に名主に就任する勘右衛門さんとしても、旅は世間を見聞きし体験する就学の場と考えてぜひとも行きたかったのではないかと思われます。
 なお、この奉納帖は大きなご利益があるとされ大切に扱われてきたようです。現在でも、御朱印をいただく納経帖(御朱印帳)の作成は人気が高いようです。
image002s.jpg image001s.jpg
納経帖の始頁、「大阪四天王寺」 納経帖の表紙 四天王寺の朱印が押される

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。